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大正町 (境港市)
鳥取県境港市の町名 ウィキペディアから
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大正町(たいしょうまち[4])は、鳥取県境港市の町名。郵便番号は684-0004(境港郵便局管区)。
地理
鳥取県の北西部、境港市の北部で、弓浜半島の北端部に位置するほぼ平坦な地域。東側で栄町や松ヶ枝町や京町、南側で明治町、西側で浜ノ町と隣接する。北側は境水道沿岸部に面する。その対岸は島根県松江市美保関町森山である。東側の境界線上を大正川が流れる。
歴史
1835年、鉄山融通会所が設置される。1926年5月、境町では旧来の地字を廃し、改めて大字21町を新設する行政区画改正を実施。大正時代に国鉄境駅がこの土地に移転新設され、駅前地区が整備され「大正町」が新設される。表記の方法は、大字の文字は表記せず、「境町大正町」となる。
1945年、大正町の岸壁で陸軍の軍用船「玉栄丸」が突如大爆発を起こす(玉栄丸爆発事故)。町内住宅はほとんど倒壊・焼失する[4]。戦後は戦災地区の指定を受け、昭和20年代に区画整理事業が実施され、再建される[4]。
1954年に境町が周辺の渡村・外江町・上道村・余子村・中浜村と合併して境港町となり、境港町の大字「大正町」となる。1956年、市制施行に伴い境港市の町名「大正町」となる。
遊亀町
遊亀町(ゆうきまち)は1871年から1887年の境町の町名で、現在の大正町海岸部の一画にあたる[4]。境町の市街地西郊外の海岸を埋立造成した遊廓地で、10数戸の置屋が開業し、劇場亀遊座も開設された[4]。明治初年の戸数22・人口78である[4]。
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世帯数と人口
2022年(令和4年)7月31日現在の世帯数と人口は以下の通りである[1]。
人口の変遷
1955年(昭和30年) | 659人 | |
1980年(昭和55年) | 432人 |
世帯数の変遷
国勢調査等による世帯数の推移[4]。
1955年(昭和30年) | 167世帯 | |
1980年(昭和55年) | 142世帯 |
小・中学校の学区
交通

鉄道
バス
境港駅#バスのりばを参照。
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道路
町内を通過する国道はない。
地域
名所・旧跡
施設
- 企業
- ホテル・旅館
- 天然温泉 境港 夕凪の湯 御宿 野乃(ドーミーイン・御宿野乃ホテルズグループ)
- みなと家旅館
- その他
- かつて存在した金融機関
- かつて存在した店・企業
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出身・ゆかりのある人物
脚注
参考文献
関連項目
外部リンク
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