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大炊御門冬忠
鎌倉時代中期の公卿。正二位・内大臣。大炊御門家6代当主。 ウィキペディアから
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大炊御門 冬忠(おおいのみかど ふゆただ)は、鎌倉時代中期の公卿。内大臣・大炊御門家嗣の子。大炊御門または香隆寺と号す。官位は正二位・内大臣。大炊御門家6代当主。主に後堀河天皇(86代)から亀山天皇(90代)の五朝に亘って仕えた。
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経歴
寛喜3年(1231年)に叙爵。侍従・周防介・左近衛少将/中将を経て、暦仁2年(1238年)に従三位となり、公卿に列する。その後も権中納言・権大納言を経て、建長2年(1250年)に正二位、弘長元年(1261年)に大納言、右近衛大将となった。さらにその翌年に左近衛大将。
文永2年(1265年)から文永4年(1267年)の間には内大臣となった。しかし文永5年(1268年)には腫物・痢病により出家し、以降は香隆寺入道と称されるようになった。同年のうちに薨去。享年51。
系譜
脚注
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