トップQs
タイムライン
チャット
視点
天竜浜名湖鉄道TH1形気動車
ウィキペディアから
Remove ads
天竜浜名湖鉄道TH1形気動車 (てんりゅうはまなこてつどうTH1がたきどうしゃ)は、1986年(昭和61年)から1988年(昭和63年)にかけて11両が製造され、2005年(平成17年)まで使用された 天竜浜名湖鉄道の気動車である[4][5]。
Remove ads
概要
1987年(昭和62年)3月に日本国有鉄道二俣線を第三セクターに転換して開業した天竜浜名湖鉄道が開業に際して準備した気動車13両と、翌年に追加された2両、計15両[13]で、いずれも富士重工業製のLE-Carと呼ばれるレールバス型気動車の一種である。
登場時は全車形式がTH1形であり、連番でTH101 - TH115と附番されていたが、1989年(平成元年)に車内形態が異なる車両ごとに車番の百の位を1~4のいずれかに改番し、その百の位を形式番号とする改番が行われた[14]。
TH1形はセミクロスシートで車体中央部に4人掛けボックスシート4組を、TH2形はTH1形と同じ座席配置で、ボックスシートを着脱式としたもの、TH3形はボックスシートを6組としたもの、TH4形はお座敷車としても使用できるロングシートである[7][14]。
Remove ads
車両概説
車体
15 m級車体、ボギー式を採用している[10]。各型式とも車体構造は全車正面貫通式、両運転台となっている。LE-Carシリーズではバス用構体を流用したため全幅が2,440 mmとなっていたが、2台分の垂木を接合することでTH1形では2,700 mmとなった[10]。前面は貫通式、乗務員室は左側で、乗務員室側にのみ乗務員用扉が設けられた[7]。折り戸の客用扉が片側2か所、両車端に設けられた[7]。扉間には中央部に下半分が引き違い式、上半分が平面窓固定式の幅1,600 mmの窓5組と運転台がない側の扉寄りに幅820 mmm反対側に幅1,320 mmの固定式窓各1組が設けられた[7]。全車トイレの装備はない[9]。外部塗装は一般公募により白をベースとし、ブルー、グリーン、オレンジの配色で構成され、白は天竜川の白波、ブルーは浜名湖の湖面、グリーンは茶、オレンジはみかんを表している[15]。正面貫通型のLE-Carとしては前面窓周囲を黒く塗装した最初の車両である[13]。
TH2形客室内には大型のデジタル式速度計、ミュージックホーンが備えられ[7]、側面には看板取付用の金具が設けられた[16]。
機器類

写真は信楽高原鐵道SKR310形のもの
エンジンは、日産ディーゼル製PE6HT03ディーゼルエンジンを1基搭載、定格出力169 kW(230 PS) / 1,900 rpmで使用された[9]。動力は新潟コンバーター製TACN-22-1103液体変速機を介して2軸駆動の台車に伝達される[6][10]。台車は上枕空気ばね、軸ばね式FU34D/Tが採用された[6][8]。制動装置はSME三管式直通ブレーキが採用され機関、排気ブレーキが併用される[7]。
暖房装置はエンジン排熱を利用した温風式である。冷房装置はバス用のものを流用した能力25.6 kW(22,000 kcal/h)のICPU-023が設置された[17]。
Remove ads
車歴
運用
1987年(昭和62年)、天竜浜名湖鉄道開業に際して13両を準備、TH101 - TH106の6両は開業前の1986年(昭和61年)11月に引き渡され、試運転に使用された[7]。開業後は天竜浜名湖線掛川駅 - 新所原駅間の列車に使用された[24]。翌1988年(昭和63年)には原谷駅、遠江一宮駅の交換設備完成[24]により、2両が追加されている[11]。
2000年(平成12年)3月にはTH211が牽引するトロッコ列車が導入され、TH211には塗装変更、砂撒き装置追加の改造が行われた[24][25]。2001年(平成12年)からTH2000形、TH2100形への置き換えが始まり[26]、2005年までに全車廃車され、形式消滅した[5]。
TH106、TH211は廃車後、ミャンマーへ輸出され、ミャンマー国鉄RBE2525(TH106)、RBR2526(TH211)となった[27][16][28]。
Remove ads
出典
参考文献
Wikiwand - on
Seamless Wikipedia browsing. On steroids.
Remove ads
