トップQs
タイムライン
チャット
視点

奥州市立木細工小学校

岩手県奥州市にあった小学校 ウィキペディアから

奥州市立木細工小学校map
Remove ads

奥州市立木細工小学校(おうしゅうしりつ きざいくしょうがっこう)は、岩手県奥州市江刺にあった公立小学校2023年3月をもって奥州市立江刺ひがし小学校への統合に伴い、閉校した[1]

概要 奥州市立木細工小学校, 過去の名称 ...
Remove ads

沿革

創成期から分教場時代

  • 1873年明治6年)8月10日 - 公立人首小学校2番校として開校[1]。米里村山本(現:江刺米里字山本)の小成田家に設置[2]
  • 1875年(明治8年)11月1日 - 米里村火石(現:江刺米里字火石)の吉田家を仮校舎とする[2]
  • 1882年(明治15年)3月 - 米里村向木細工28番地(現:江刺米里字向木細工28番地)に移転[2]
  • 1887年(明治20年)4月1日 - 小学校令公布に伴い、「木細工簡易小学校」に改称[2]
  • 1892年(明治25年)4月1日 - 「人首尋常小学校木細工分教場」へ移行[2]
  • 1902年(明治35年)4月1日 - 「人首尋常高等小学校木細工分教場」に改称[2]

独立以降

Thumb
空中写真(1977年9月)
国土交通省 国土地理院 地図・空中写真閲覧サービスの空中写真を基に作成
Remove ads

学校目標

教育目標

心豊かでたくましく、自ら学ぶ子どもの育成
  • 自ら学び、よく考える子ども
  • きまりを守り、力を合わせる子ども
  • たくましく、心の広い子ども

経営方針

公教育に根ざし、教育目標の実現を図るため、学校・家庭・地域社会及び関係機関と連携を密にし、知・徳・体の調和のとれた人間形成と心身共に健康で積極的、創造性に富む人間の育成を期す。

出典:[13]

施設概要

主な施設を掲載。校地面積は9,588平方メートル[14]

  • 校舎 - 平屋建て。面積は922平方メートル[14]
  • 体育館 - 面積は446平方メートル[14]
  • プール - 面積は503平方メートル[15]。槽はアルミ製で、面積は225平方メートル(縦25メートル・横9メートル)[14]
  • 校庭 - 面積は1,798平方メートル[14]
  • 学校林[2]

児童・学級数

要約
視点

1887年度以降の児童数と学級数の推移。1962年度から1971年度、1973年度から1985年度、1998年度以降は毎年度掲載。

以下の推移表の中では、高等科を併設していた1941年度の153人が最多である。現行の学校体系となった1947年度以降に関しては、1960年度の157人をピークに減少へ転じた。最多期を迎えた1960年ごろは、戦後のベビーブーム期に生まれた者(いわゆる団塊の世代)が在籍していた時期と重なる。その後は減少の一途をたどり、1971年度には100人、1978年度には50人を割った。児童数の減少とともに、1970年代初頭には複式学級が発生し、1977年度になるとすべての学年で複式学級編成となった(=完全複式学級)。

1990年代から2000年代中盤にかけては、おおよそ20人前後で推移。年度によっては単式学級となる学年も見られ、完全複式編成を脱したこともあった。しかし2007年度からは新入生が居ない年が現れるとともに、児童数も10人を下回るようになり、2021年度には過去最少となる4人を記録した。これは奥州市内の小学校では最も少なく、県内でも休校状態の一戸町立一戸小学校養護分校、岩泉町立安家小学校(3人)に次いで3番目に少ない児童数となった[16][17]

さらに見る 年度, 児童数 ...
Remove ads

学区

  • 奥州市江刺米里
    • 米里第7区第8区 - 字戸草、字九才坂、字二股、字中屋敷、字山本、字大畑、字上栃ノ木、字下栃ノ木、字木細工、字向木細工、字根津葉、字火石、字重王堂、字大野、字古歌葉、字館沢

出典:[72]

進学先の中学校

アクセス

県道8号と人首川の間に位置する。

バス

自動車

  • 国道397号・県道8号の交差点(奥州市江刺米里字古歌葉)から県道8号経由で約4分
  • 県道8号・県道27号のT字路交差点(奥州市江刺米里字荒町)から県道8号経由で約8分

周辺

  • 県道8号
  • 人首川
  • 木細工簡易郵便局
  • 木細工分教場跡

脚注

参考文献

関連項目

外部リンク

Loading related searches...

Wikiwand - on

Seamless Wikipedia browsing. On steroids.

Remove ads