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姫路客車区
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姫路客車区(ひめじきゃくしゃく)は、兵庫県姫路市にかつて存在した西日本旅客鉄道(JR西日本)の車両基地である。本項では、前身である姫路客貨車区についても述べる。
概要
姫路駅構内に存在し、客車検修庫が播但線ホームの北側に、貨車検修庫が姫路操車場付近に設置されていた[1]。
播但線全線と姫新線(姫路駅 - 上月駅間)で運用される客車が所属していた[2]。日本国有鉄道時代は大阪鉄道管理局に属し、姫路客貨車区と称していた。
1989年3月11日に姫路運転区姫路派出所(検修部門)と統合し[3][4]、1991年4月1日に姫路鉄道部に組織変更されて廃止された。
所属車両の車体に記された略号
所属組織の略号と、姫路の電報略号である「ヒメ」から構成されている。
国鉄時代は大阪鉄道管理局の略号を表す「大」と組み合わせた「大ヒメ」で、国鉄分割民営化後は近畿圏運行本部の略号を表す「近」と組み合わせた「近ヒメ」であった。
所属車両
1978年10月には旧型客車置き換え用として50系客車が配置され、同年11月1日から播但線全線で、同月10日から姫新線(姫路駅 - 上月駅間)で運用を開始した[5]。1981年3月31日時点では50系客車は配置数は70両となった[5]。
1986年11月1日時点では、臨時用として12系客車16両、普通列車用として50系客車57両、救援用として3両(マニ50形客車1両、スエ31形客車1両、オエ70形客車1両)が配置された[2]。救援用車両2両(スエ30形客車1両、オエ70形客車1両)は1987年2月7日付で廃車となった[6]。
1990年には、冷房化を目的として12系1000番台客車(近郊形改造施工)が転入し、播但線で同年3月16日から運用された[5]。1991年の姫路鉄道部発足により、所属車両は同鉄道部に引き継がれた。
受持区域
沿革
- 1915年(大正4年)10月12日:客車の電気設備の検修を行う姫路列車電灯所が発足[8]。
- 1916年(大正5年)9月1日:客車・貨車の検修を行う姫路検車区が姫路機関区より分離発足[7][8]。
- 1923年(大正12年)9月:姫路列車電灯所が姫路車電区へと改称[8]。
- 1951年(昭和26年)4月1日:姫路検車区と姫路車電区が統合し、姫路客貨車区が発足[8]。
- 1958年(昭和33年)6月10日:加古川客貨車区の貨車検修業務を移管、姫路客貨車区加古川支区が発足[10]。
- 1970年(昭和45年)
- 1984年(昭和59年)2月1日:貨車交番検査、貨車交番検査(指定取替)、臨時検査、列車掛業務の廃止[13]。貨車仕業検査と特大貨物輸送検査は残置[13]。
- 1987年(昭和62年)
- 3月1日:国鉄分割民営化を控え、姫路客車区に改称[14]。
- 4月1日:国鉄分割民営化に伴い、西日本旅客鉄道(JR西日本)に継承。
- 1989年(平成元年)3月11日:姫路運転区姫路派出所(検修部門)と統合[3][4]。
- 1991年(平成3年)4月1日:姫路鉄道部に組織変更されて廃止。
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脚注
参考文献
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