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安行村
日本の埼玉県北足立郡にあった村 ウィキペディアから
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1956年(昭和31年)4月1日に川口市に編入され、消滅。現在旧村域の大部分は「安行地区」と呼ばれるが、東部の一部は草加市に属している。
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地理
歴史
- 1869年(明治2年)1月28日 (旧暦) - 武蔵知県事・宮原忠治の管轄区域をもって大宮県が発足(県庁は日本橋馬喰町)。
- 1869年(明治2年)9月29日 (旧暦) - 県庁が浦和に移転し、大宮県から浦和県に改称。
- 1871年(明治4年)11月14日 (旧暦) - 浦和県・忍県・岩槻県の3県が合併して埼玉県が誕生。
- 1889年(明治22年)4月1日 - 町村制施行に平行して安行、赤山領領家、原、慈林、北谷、苗塚、小山、花栗、藤八新田、吉蔵新田の8箇村2新田が合併し、成立。
- 1956年(昭和31年)4月1日 - 川口市に編入され、安行村は消滅。これにより、1950年(昭和25年)11月1日以来川口市内で飛び地となっていた新郷地区の飛び地状態が解消される。なお、安行は地理的には鳩ヶ谷との合併も可能であったが、安行は川口との関係を巡って政情が不安定であった鳩ヶ谷よりも、順調に経済が発達した川口との合併を選択した。
- 1957年(昭和32年)5月1日 - 川口市と草加町(現・草加市)との境界変更により、草加町中心部・草加駅に近い旧村域東部の一部(花栗、苗塚の全部と北谷、原、小山の各一部)が草加町に編入される。
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関連項目
外部リンク
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