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宗谷丸

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宗谷丸
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宗谷丸(そうやまる)は、太平洋戦争終戦直後まで鉄道省日本国有鉄道の前身)が稚泊連絡船で使用していた貨客船である。

概要 宗谷丸, 基本情報 ...
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概要

稚泊航路に就航していた「壱岐丸」の安全性が問題視されるようになっていたことから1930年12月に「宗谷丸」の建造が決定された[6]

船名は宗谷海峡に由来する[要出典]。僚船に「亜庭丸」がある。冬季には流氷に閉ざされる海域で運行されるため、砕氷船として設計された。1942年に「高島丸」が完成するまで日本最大の砕氷船であった。

稚泊連絡船は、北海道稚内樺太大泊との間を結んでいた。

船歴

訓練船

洞爺丸事故及び紫雲丸事故の後1955年6月に設けられた「臨時日本国有鉄道連絡船改善対策審議会」の答申により非常時訓練の必要性が指摘されたことから、元関釜連絡船昌慶丸函館に繋留の上で訓練に使用(1956年3月 - 1958年11月)。その後、石炭輸送に復帰した宗谷丸の外洋航海中に訓練を行なうようになった。

南極観測船候補

戦後、南極観測が実施される際に宗谷丸も改造候補の一つに挙がったが[17]、最終的には旧海軍の特務艦で海上保安庁灯台守)の灯台見回り船であった「宗谷」が改造されることとなった。

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記念物

  • 稚内港の稚泊航路記念碑には宗谷丸の模造号鐘が展示されている。
  • 稚内駅には宗谷丸の絵が展示されている。

脚注

参考文献

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