トップQs
タイムライン
チャット
視点
宮下文夫 (陸軍軍人)
日本の陸軍軍人 ウィキペディアから
Remove ads
宮下 文夫(みやした ふみお、1892年(明治25年)11月11日[1] - 1963年(昭和38年)4月1日[1])は、大日本帝国陸軍軍人。最終階級は陸軍中将。
経歴
1892年(明治25年)に福島県で生まれた[1]。陸軍士官学校第25期卒業[1]。1938年(昭和13年)7月4日に駐蒙軍高級副官となり[2]、7月15日に陸軍歩兵大佐に進級[2]。日中戦争に出動した[1]。1939年(昭和14年)に仙台陸軍教導学校学生隊長を経て[2]、1940年(昭和15年)に歩兵第83連隊長に就任し[2]、中国戦線に復帰。中原会戦に参加、濁流の黄河を渡河し戦果を収めた[1]。
1942年(昭和17年)に陸軍少将に進級し[2]、第8独立守備隊長に転じた[2]。1943年(昭和18年)に第1歩兵団長を経て[1]、1944年(昭和19年)に独立歩兵第11旅団長に就任[1]。武漢北方の警備に当たった[1]。1945年(昭和20年)4月に陸軍中将に進級し、第160師団長に親補される[1]。朝鮮・群山の警備に当たったが[1]、同年5月23日に朝鮮軍管区司令部附となった[2]。
Remove ads
栄典
- 勲章
脚注
参考文献
Wikiwand - on
Seamless Wikipedia browsing. On steroids.
Remove ads