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宮久保
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宮久保(みやくぼ/Miyakubo)は、千葉県市川市にある地名。現行行政地名は宮久保一丁目から宮久保六丁目。郵便番号は272-0822。
地理
市川市北部に位置する。地域内は住宅街となっており、昭和学院(幼稚園)が置かれる。 隣接する菅野、東菅野、八幡と共に文学者や小説家、作家に縁のある地で、作家中津攸子が居住する。
三丁目に市川宮久保郵便局、東京ベイ信用金庫宮久保支店、五丁目に宮久保小学校がある。
東・南は東菅野、西は須和田・東国分、北は下貝塚・曽谷と接している。
地価
住宅地の地価は、2014年(平成26年)1月1日の公示地価によれば、宮久保1-19-14の地点で15万7000円/m2となっている。[4]
歴史
沿革
- 1869年(明治2年) - 葛飾県葛飾郡宮久保村となる。
- 1871年(明治4年) - 廃藩置県、県の統合により印旛県葛飾郡宮久保村となる。
- 1873年(明治6年) - 県の統合及び、郡の分割により千葉県東葛飾郡宮久保村となる。
- 1889年(明治22年) - 東葛飾郡八幡町、菅野村と合併し、東葛飾郡八幡町大字宮久保となる。
- 1934年(昭和9年)11月3日 - 市川町、中山町、国分村と合併、市制施行。市川市大字宮久保となる。
- 1951年(昭和26年)12月1日 - 市内の大字を町に変更。それに伴い、市川市宮久保町となる。
- 1967年(昭和42年)2月1日 - 住居表示施行。市川市宮久保一丁目 - 六丁目となる。
地名の由来
元々は「宮窪」であり、すなわち宮のある窪地を意味した。窪の字が変化し「宮久保」となったもの。
世帯数と人口
2017年(平成29年)9月30日現在の世帯数と人口は以下の通りである[1]。
小・中学校の学区
市立小・中学校に通う場合、学区は以下の通りとなる[5]。
施設
脚注
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