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小山谷蔵
日本の政治家 (1876-1951) ウィキペディアから
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小山 谷蔵(こやま たにぞう、1876年(明治9年)8月10日[1] – 1951年(昭和26年)1月1日[2])は、衆議院議員(立憲政友会→中正会→立憲民政党→国民同盟→立憲民政党)。外務政務次官、内務参与官、文部副参政官。

経歴
和歌山県西牟婁郡三栖村(現在の田辺市)出身。1898年(明治31年)、東京専門学校(現在の早稲田大学)英語政治科を卒業。渡米して、コロンビア大学などで修士号と博士号を得た。帰国後、台湾総督府専売局で翻訳官を務めた。
1912年(明治45年)、第11回衆議院議員総選挙に出馬し、当選。当選回数は合計で8回を数えた。その間、第2次大隈内閣で文部副参政官を、第2次若槻内閣で内務参与官を、米内内閣で外務政務次官をそれぞれ務めた。戦後、大政翼賛会の推薦議員のため、公職追放となる[3] 。
その他、城東土地会社・中野商店・三日月商事で取締役を務めた[4]。
栄典
- 1940年(昭和15年)8月15日 - 紀元二千六百年祝典記念章[5]
脚注
参考文献
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