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小川利弘
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来歴
1959年に東京現像所に入社[出典 1][注釈 1]。焼付、現像マンを経てオプチカルによるフィルムの特殊合成を担当[出典 2]。2009年時点では、同所のテクニカルアドバイザー兼ディレクター[3]。
1989年『ゴジラvsビオランテ』からゴジラシリーズに参加[出典 3]。同シリーズは、川北紘一が特技監督を務めた同作品から合成量が増加し、合成の内容自体も複雑化していったことから一社ではまかなえないと判断し、複数社で合成作業を分担し小川がそれを管理するという体制を確立した[3][9]。予算は厳しいものの、東宝は支払いが早いため、各社も快く引き受けてくれたという[6]。
『ヤマトタケル』(1994年)よりデジタル技術を部分的に導入し、『ゴジラvsスペースゴジラ』(1995年)で本格的にデジタル技術を駆使した映像の制作を始めた[8]。
代表作
映画
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著書
受賞歴
- 1994年 - 第17回日本アカデミー賞協会特別賞[3][2][9]
脚注
参考文献
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