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若狭新一

日本の映画造形家 ウィキペディアから

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若狭 新一わかさ しんいち[1]1960年昭和35年〉[1]3月2日[出典 1] - )日本映画怪獣造形専門の彫刻家特殊メイク師。モンスターズ代表取締役[5][6]東京都[出典 2]台東区浅草[3]出身。

概要 わかさ しんいち 若狭 新一, 生年月日 ...

経歴

要約
視点

少年時代に『仮面ライダー』(1971年)に憧れ、登場する怪人の造形に興味を抱く[5]。自宅近くの松屋デパートで仮面ライダーショーを行っていた大野剣友会の殺陣師高橋一俊に話しかけたところ、隣町に住んでいることがわかり、そのよしみから『仮面ライダーV3』(1973年)の撮影現場を見学させてもらうようになった[5]。中学生時代には、仮面ライダーシリーズの造形を担当するエキスプロダクションの造形現場やウルトラシリーズを手掛ける円谷プロダクションの特撮現場なども見学するようになった[5]

高校時代には、高橋からの誘いで大野剣友会に研修生として入り[出典 3]、『仮面ライダーストロンガー』や『秘密戦隊ゴレンジャー』(ともに1975年)などのショーで戦闘員役を務めた[5][8]。同会では、スーツの補修や武器の制作なども行うようになり[5][8]、大野剣友会のオリジナル企画『UFO大戦争 戦え! レッドタイガー』(1978年)ではレッドタイガーのスーツ制作にも携わった[5]。高校卒業後の進路を選ぶにあたり、身長が低くアクションでは主役になれないことや、『スター・ウォーズ』(1977年)や『未知との遭遇』(1977年)などの影響により特撮への興味が再燃したことなどから、造形の道へと進む[5]

1978年、前年から高校卒業後にアルバイトとして通っていたコスモプロダクションに入社し[出典 4][注釈 1]、『宇宙からのメッセージ』(1978年)や『恐竜戦隊コセイドン』(1978年)『仮面ライダー (スカイライダー)』(1979年)などに参加した[出典 5]

1980年には20歳の誕生日に同僚の話に乗ってコスモプロを辞めて独立し、モンスターズを設立する[出典 6]。『Xボンバー』や『仮面ライダースーパー1』(ともに1980年)の制作で多忙であったコスモプロに替わり、『ウルトラマン80』の怪獣造形を担当する[出典 7]。編集者の安井尚志とつながりを持ち、雑誌企画の『アンドロメロス』(1983年)やイベントやCMのキャラクター造形などを手掛けた[2][5]

1985年より特殊メイクを中心に活躍し、オリジナルビデオ作品『餓鬼魂』を皮切りに日本映画界の特殊メイク界の草分け的存在となった[出典 8]

1993年原口智生の結婚式で、原口と同様に『ウルトラマン80』の職場仲間であった鈴木健二と再会し、彼の誘いで『ゴジラvsメカゴジラ』で怪獣造形に復帰する[出典 9]。その後、東宝特撮映画を中心に造形を手掛ける[出典 10]

次第に制作会社ごとにバラバラにキャラクターを作る体制に不満を持ち[14]、1998年の『モスラ3 キングギドラ来襲』は一度は断ろうとしたが、造形面のすべてをプロデュースすることを条件に引き受けた結果、映画業界で初となる「造型プロデューサー」に就任した[5][6]。若狭の起用は特殊技術に昇格した鈴木健二からの要望であった[15]

1999年の『ゴジラ2000 ミレニアム』以降、『ゴジラ・モスラ・キングギドラ 大怪獣総攻撃』(2001年)を除くミレニアムシリーズでゴジラの造型を手掛けた[出典 11]

ゴジラシリーズの終了後も、『ヤッターマン』(2009年)や『GANTZ』(2011年)などで特殊メイクを担当している[3]。造形については、CMやイベントショーなどを中心としている[出典 12]

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人物

コスモプロダクションでは、石ノ森章太郎によるラフデザインに対して造型用のデザイン画を起こすことはなく、コスモプロ側の任意でキャラクター造形を行っていた[2]。一方、モンスターズ時代に請け負った『ウルトラマン80』では、デザイン通りに造ることを求められ、以後数年は同様の手法をとっていたが、他人が描いたものをそのまま造ることに嫌気が差し、監督(特撮監督)を満足させられデザイン画を超える造形を志すようになった[2]。このやり方は、東宝特撮で特撮監督を務めた川北紘一のやり方と特に相性が良かったとされ、最終デザインはデザイン画ではなくマケットに基づいているものが多い[16]

東宝プロデューサーの富山省吾は、若狭について映画の中で造形物がどう映るかを重視しており、自身が作ったものを撮影で破壊することに手加減がないなど、キャラクター以上に映画愛を持っていると評している[17]

『ゴジラ2000 ミレニアム』などで監督を務めた手塚昌明は、若狭は手塚からの要望に対して「できない」と言うことはなく、解決策を必ず出していたといい[18]、特殊技術の鈴木健二も欲しい造形物を要望すると正式に発注しなくても出てきたと述べている[15]

ミレニアムシリーズでゴジラのスーツアクターを務めた喜多川務は、若狭について自身の要望はすべて応じて改良してくれたといい、F1のレーサーとメカニックマンのような関係であったと述べている[19]

コスモプロダクションの三上陸男は、若狭は人間関係を大事にしているところが長所だと述べており、律儀な男であると評している[20]

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参加作品

映画

さらに見る 公開年月日, 作品名 ...

テレビドラマ

オリジナルビデオ

舞台

CM

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出演作品

著書

  • 西川タイジ、中野昭慶桜井景一宮西武史小川利弘 、若狭新一、藤下忠男、杉村克之、市村昭弘、諏訪操旺、松尾和之、小形英正、髙澤公明、北條則明『トーク・アバウト・シネマ—「特撮・CG・VFX」から語る映像表現と仕事論』発行:シネボーイ/PAPER PAPER 発売:フィルムアート社、2017年4月1日。ISBN 4845916347

脚注

参考文献

外部リンク

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