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小林私
日本のシンガーソングライター、配信者 ウィキペディアから
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小林 私(こばやし わたし、1999年1月18日[2] - )は、日本のシンガーソングライター、配信者[3]、ライター[4]。男性。クロニカル大崎とのユニット「このままじゃまだ死ねない」[5] としても活動。
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経歴
2014年、帝京八王子高等学校に入学[2]。在学中に軽音楽部に入部し、ギターを始める。
2017年、多摩美術大学絵画学科油絵専攻に入学[2]。2018年、YouTubeに動画投稿を始める。
2020年、YouTubeの個人チャンネルにて生配信を始める。6月11日に1stデジタルEP「生活」をリリース。12月、美月リカ、玖須正成(くすまさしげ)と共に株式会社がんばれを設立。同社の代表取締役に就任[3]。
2021年3月15日、多摩美術大学絵画学科油絵専攻を卒業[6]。同年6月、ダ・ヴィンチwebにて連載「私事ですが、」が開始[7]。現在はザ・テレビジョンに移行[8]。7月3日には『シブヤノオト』(NHK総合)にて初テレビでの生歌唱。
2022年2月、自主レーベルであるYUTAKANI RECORDSを設立[9]。同時に株式会社がんばれを退社し、Easy Revenge Recordsから自主レーベルへと移行。
2023年4月、キングレコードの新レーベルHEROIC LINEに第一弾アーティストとして所属することを発表。6月28日、HEROIC LINEより3rdアルバム「象形に裁つ」でメジャーデビュー[10]。
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インディーズ時代
2020年に株式会社がんばれを設立後、本格的に音楽家としての活動を開始したが、1つ目のレーベルであるeasy revenge recordsに所属していた期間は多忙にも関わらずほぼ無給・2年間で約数十万円。当時は実家暮らしだったこと、YouTubeの個人チャンネルの収益が直接入っていたことを理由にギリギリ生活できていたが、終盤には2つあった銀行口座の残高がどちらも100円を切る窮地に陥っていた。
2021年1月、見かねた外部の人間に声をかけられたことをきっかけに事務所に所属。easy revenge recordsから新たに立ち上げた自主レーベル・YUTAKANI RECORDSへと移行、同時に株式会社がんばれを退社。この時、音源やジャケット等の権利の所在を理由にeasy revenge recordsと事務所の間で揉め事が生じ、結果デジタルEP“後付”が各種サブスクリプションから削除される。数ヶ月後、同じくeasy revenge recordsからリリースされたアルバム“健康を患う”と“包装”も削除されたが、後に再ミックスされたものが配信された。
easy revenge recordsとの問題が解決に向かった頃、自身を事務所に誘った人間が当時のマネージャーにパワハラをしていたことが発覚。本人はここに来て初めてブチギレ。小林が「貴方とは仕事できない、事務所も辞める」と宣言したことを機に、今度は自身と事務所の間で揉め事が発生。ジリ貧にも関わらず今までの制作にかかった金や上の人間(パワハラ加害者)に支払った金として約数百万円の支払いを社長から求められるなど、状況は修羅場と化す。そんな中キングレコードから声がかかり、状況を知ったキングレコードが手を差し伸べる形で2023年4月より新レーベルHEROIC LINEへの所属が決まった。上記の話はキングレコードへの所属が発表された翌日のYouTube生配信[11]にて本人から語られた内容を要約。本人が連載しているエッセイでも経緯が説明されているため、詳しくは該当記事[12]を参照。
余談だが、「多かれ少なかれ皆色々あるけれど、同期のインディーズ・ミュージシャンの中でもここまでゴタついてる人はいない」と語るほどの状況だったにも関わらず、本人は“金銭に関して”は別に怒っていない。無給だった初期の2年間についても「お金が貰えてなかっただけで(活動自体は)とても楽しかった」と振り返っている。
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人物・エピソード
要約
視点
本名は小林亮太[13]。webメディア「マギモ」のライター[4]。人の目を見て話せない[14]。
好きな食べ物はチュロス、お好み焼き[15]。嫌いな食べ物はトマト、お酒は得意では無い[16][17]。
好きなゲームはパネポンと麻雀。ホラーゲームは苦手[18][19][20]。タバコは二十歳の誕生日にキャスターの5mgにハマり、その後ロングピースを愛煙していた。2021年1月18日から禁煙を開始しており継続中[1]。つい最近、自身のYouTubeチャンネルにて、喫煙を再開したと報告。現在は一日に3箱吸うなど、禁煙生活吸っていなかった分のタバコを吸い戻している。
ソーシャルゲーム『アイドルマスターシャイニーカラーズ』に熱中しており、担当アイドルは樋口円香[21]。
ネタツイートが大好きで、小林も自身のTwitterで積極的にネタツイートをしている。ネタツイッタラーの才能やおこめたべおと親交が深く、配信でもよく名前が上がる。
活動名義の「小林私」の由来は、劇団ひとりのように語感がよく一般的には名前に使われない単語を使いたかったからという理由や、「私」という他者がいないと存在しえない概念である単語を使うことで客観性を持った名前にしたかったなどといったものがある。以前は「小林葵」の名義でも活動をしていた。「小林葵」の由来はできるだけ線対称の名前にしたかったから[13]。
easy revenge recordsのプロデューサーであった美月リカは最初は小林を"かっこいいアーティスト"としてプロデュースするつもりであったが、途中で断念し小林の良さを生かした自由なプロデュースに移行した。
茶道を6年間、水泳を4年間、剣道を1年間やっていたがどれも腕前は大したことがない[1]。小学生時代は読書に明け暮れており、中学生時代は本となりきりチャットに青春を捧げた。当時のなりきりチャットネームは「鎖神(さかみ)」であった[22]。中学生時代は3年間家庭科部に所属していた[1]。高校生時代は1年生から軽音部、2年生から演劇部を掛け持ちしており、どちらも部長を務めた[1]。高校生時代に組んでいたバンド名は「mont-blanc!」でベースと喧嘩して解散。もう一つは「BLACK*RABBIT」こちらも解散済[23]。自身の所属している音楽ユニット「このままじゃまだ死ねない」の相方、クロニカル大崎は高校の同級生である[1]。軽音楽部では現在組んでいるユニットの相方であるクロニカル大崎がボーカルを担当し、小林はリードギターを担当していた[5]。
高校生時代にオリモーノヴァッギーナ(現中原くん)とテレビ番組『ゴッドタン』(テレビ東京)の企画であるマジ歌選手権の影響で弾き語りと作曲を始める[24]。大学3年生の時にセラピストをしていたことがある[1]。
人に体を触られることに抵抗があるが、尻は触られてもいいらしい。本人曰く柔らかいとのこと[25]。
Vtuberに関して詳しく、一部の配信者たちと交流もある。また、何故かVtuberランキングに本人がランクインしている[26][27]。
車はトヨタ・bBのZ Xバージョン煌(白)に乗車。スズキ・ワゴンRから日産・キューブに乗り換え[28]。車の運転に自信があり、友人たちから評判が良い。以前、車のブレーキが効かなくなっても焦らず路肩にぶつけて止めた。
Yahooニュースにて記事が掲載された際に、「ワンマンライブです。僕が犬だったらワンワンライブになるんですが、非常に残念なことに人間なので今回はワンマンライブということになります。誠に遺憾です。」という本人のコメントが話題に[29]。
シンガーソングライターの根本。とのインターネットラジオ番組『根本。小林私の人気者ラジオ』をYouTubeに不定期投稿している[30]。
2021年、渋谷CLUB QUATTROのワンマンライブでは1部は弾き語りスタイル、2部はバンドスタイルで開催。なお2部は驚異の40分巻きで終了[31]。「風邪」のMV撮影中に右尻に軽い火傷を負った[22]。
ディスコグラフィー
- 読み方は「あだみつ」
- リリースに際して、ヴィレッジヴァンガード渋谷店、ヴィレッジヴァンガードPLUS越谷レイクタウン店にてインストアライブを行った。
- 渋谷店インストライブにハッピー・ジャムジャムを手掛けた樫原伸彦氏が訪れた。
参加作品
楽曲提供
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主なYouTube投稿楽曲
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タイアップ
出演情報
要約
視点
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脚注
外部リンク
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