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小笠原貞通
日本の江戸時代中期の大名 ウィキペディアから
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小笠原 貞通(おがさわら さだみ)は、江戸時代中期の大名。豊前国小倉新田藩(千束藩)2代藩主。官位は従五位下・近江守。
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略歴
元禄13年(1700年)、叔父で先代藩主の小笠原真方の養嗣子となる。宝永6年(1709年)に養父が讃岐国にて溺死したため、その跡を継いだ。正室の伊東氏とは仲が悪く、僅か2年で離別したが、側室の藤井氏との間は仲が良く、8男7女という子女に恵まれている。最初は次男・定政を世子に選んでいたが、元文4年(1739年)6月12日に早世したため、六男・貞顕を新たに世子とした。
系譜
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