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小笠原忠基

豊前小倉藩3代藩主。小笠原家宗家4代。従五位下・織部正、遠江守、従四位下・侍従、左近将監。小笠原忠雄の長男。府中小笠原氏22代。 ウィキペディアから

小笠原忠基
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小笠原 忠基(おがさわら ただもと)は、豊前国小倉藩の第3代藩主小笠原家宗家4代。

概要 凡例小笠原忠基, 時代 ...
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生涯

天和2年(1682年)7月4日、第2代藩主・小笠原忠雄の長男として江戸屋敷で生まれる。元禄4年(1691年)、清貞と名乗る。元禄9年(1696年)から父と二元政治を行ない、従五位下、織部正に叙任された。元禄10年(1697年)に遠江守に転任する。元禄11年(1698年)、清貞から清遥と改名する。享保10年(1725年)、父の死去により跡を継いだ。

藩政においては文治を奨励し、享保の大飢饉で4万人の死者を出し盗賊などが蔓延ったために治安回復に努める一方で、享保13年(1728年)に被差別部落に対する部落差別的な法令を制定するなどしている。寛保元年(1741年)に忠基と改名する。

宝暦2年(1752年)2月5日に死去した。享年71。

嫡男の忠貞は寛保元年(1741年)に早世していたため、六男の忠総が跡を継いだ。

系譜

脚注

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