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小野日子

日本の外交官 ウィキペディアから

小野日子
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小野 日子(おの ひかりこ、旧姓:関[1]1965年5月24日 - )は、日本外交官

概要 生年月日, 出生地 ...

内閣参事官内閣副広報官外務省外務副報道官内閣広報官外務省経済局長、外務報道官などを歴任。

人物・経歴

要約
視点

1965年東京都生まれ[2]女子学院中学校・高等学校を経て[1]、1988年 一橋大学社会学部卒業[3]。高校時代に5学年先輩の女性外交官の新聞記事を読み、初めて外交官という仕事の存在を知り、大学進学後、同期の三木谷浩史などの気迫に影響され、外交官試験への挑戦を決意したという[2]

1988年外務公務員Ⅰ種採用、外務省入省[4]。同期25人のうち女性は1人だけで[2]、歴代女性キャリア外交官としては20人目となった[5]

1989年から外交官補としてイギリス研修を受けオックスフォード大学トリニティ・カレッジ留学[4][6]、1991年オックスフォード大学哲学政治経済学部(Philosophy, Politics and Economics)卒業[6][3]B.A.取得[7]。オックスフォード大学在学中は外務省の1年先輩だった皇后雅子と交友を持ち、スキー箱根への温泉旅行などをともにする経験も得た[8]。1993年に入省同期の小野啓一と結婚[9][3]

環境と開発に関する国際連合会議、対アジア向け円借款インドネシアタイモンゴル等)、インドシナ半島メコン川流域開発、世界貿易機関などの担当を経て[3][10]、2000年から2003年まで在アメリカ合衆国日本国大使館一等書記官(広報文化班次席)としてプレス対応等に従事[3][4][11]

長年子供を設けることにためらいを感じていたが[3][5]、2003年にワシントンD.C.で出産し[12]育児休業を取得した[4]。出産を経験した女性外交官として歴代5人目となり、育児明けに上司から、「置き場には困る」と嫌味を言われたという[5]

2005年から外務省経済協力局開発計画課企画官を務め[10]政府開発援助白書編纂や、分野別開発政策を担当[3]

2006年からは外務省国際協力局多国間協力課企画官として、政府開発援助政策を担当し[3]、CCOP国内支援委員会委員なども兼任した[13]

2007年 外務省総合外交政策局総務課政策企画室長[4]

2009年 外務省国際協力局国別開発協力第二課長[4]。同年グローバル・ママ・ネットワーク設立に参画[14]

2011年 外務省大臣官房広報文化交流部総合計画課長[4]

2012年 内閣官房内閣参事官、内閣官房内閣広報室内閣副広報官、内閣官房国際広報室長[4][6]

2014年 国際交流基金総務部長[4]

2016年から東京オリンピック・パラリンピック競技大会組織委員会スポークスパーソンを務め[4]、広報局長も兼務した[15]

2017年から夫や子供とともにジャカルタに赴任し、東南アジア諸国連合日本政府代表部公使(次席)。2019年から子供はシンガポールに在住[4][16][4]

2020年 外務省大臣官房審議官(報道・広報・文化交流担当)(外務省外務副報道官)兼アジア大洋州局フルブライト・ジャパン日本側委員[17][18][19]

2021年 内閣広報官[20][21]。同年 外務省経済局[22]

2022年 外務報道官[23]ロシア外交官らの国外追放を表明した[24]。同年5月、ロシアのウクライナ侵攻に伴うロシア政府による日本への報復措置(ロシア連邦への日本政府の政策に対する報復措置に関してのロシア外務省声明)により、ロシア連邦への入国を恒久的に禁止された[25]

2024年 ハンガリー国駐箚 特命全権大使[26][27]

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人物像

  • 仕事ぶりに派手さはなく、淡々とこなしていくタイプで[28]、温厚な性格で敵が少ない人物とされる[9][29]
  • 鈴木一人東京大学公共政策大学院教授によると、名前が難読で苦労しているという[30]
  • 当時の外務省では子供を持つ女性外交官はまだ少なく、深夜や土日も仕事をして、誘われたら飲み会にも行けないようならダメだ、などと言われ、育児との両立に辛い想いをしたが、やむを得ず聞き流してきたという[2]
  • 趣味はジョギング旅行[31]、都内のマラソン大会などに出場[32][33]

受賞

著書

同期

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脚注

外部リンク

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