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小野重行
日本の政治家、衆議院議員(1881–1931) ウィキペディアから
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小野 重行(おの しげゆき、1881年(明治14年)3月26日[3] - 1931年(昭和6年)7月30日[4])は、日本の衆議院議員(憲政会→立憲民政党)[1]。神奈川県橘樹郡町田村の村長を経て、大正9年の総選挙で初当選し、通算4期務めた[1]。
経歴
神奈川県橘樹郡町田村(のち潮田町・鶴見町、現・横浜市 鶴見区)に生まれる。東京法学院(現・中央大学)卒[1][2]。町田村の村長を務め、臨海部の埋立・宅地化や地域開発に尽力した[5][6]。大正期には多摩川改修など地域インフラをめぐる請願・運動にも関わった[7]。
1920年の第14回衆議院議員総選挙で初当選(神奈川3区)し、1924年(神奈川3区)、1928年・1930年(いずれも神奈川2区)に当選、通算4期務めた[8][9][10][11]。
「鶴見小野駅」周辺は、戦国期以来小野氏が住し、江戸末 - 明治初期にかけて小野高義・鱗之助親子が新田として埋立(小野新田)を行った地である[6]。小野重行はその孫にあたり、町名・駅名の由来ともなっている[6][12][13]。
大正期、地域整備とあわせて、小野弁天神社(現・小野町)の修復整備を行った。同社境内には埋立・宅地化の功労者として小野の肖像レリーフを配した記念碑(小野重行碑)が建立されている[6][14][15]。
関東大震災(1923年)当時、鶴見地区では警察署長大川常吉の行動と、地元有力者(小野・佐久間権蔵)による住民への調整・説得が緩衝役となり、朝鮮人および中国人の虐殺犠牲者は相対的に少数にとどまった[16]。
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脚注
参考文献
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