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山根武亮

日本の陸軍軍人 ウィキペディアから

山根武亮
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山根 武亮(やまね たけすけ、嘉永6年2月15日[1][2]1853年3月24日) - 1928年昭和3年)4月4日[1][2])は、日本陸軍軍人。最終階級は陸軍中将貴族院議員男爵勲一等受章。

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山根武亮

経歴

長州藩士・山根修平の二男として生まれる[1]明倫館で学び、警視庁巡査を経て、1875年明治8年)2月、陸軍士官学校に入学[1]。少尉試補、工兵少尉・工兵第1大隊付を経て、1878年(明治11年)12月、陸軍士官学校(旧1期)を卒業する[1][2]

参謀本部出仕(清国駐在)、参謀本部管西局、清国差遣、ドイツ駐在、ドイツ・オーストリア留学、工兵第1大隊長、参謀本部第1局員などを経て、日清戦争第2軍兵站参謀長として出征した[1][2][3]。続けて台湾平定(乙未戦争)に臨時台湾鉄道隊隊長として従軍[1][2][3]。隊長として台湾縦貫鉄道の既設鉄道の業務及改築並び新竹以南の線路の施設にあたり、当時比類なき難工事とされ300余名の病死者を出しながら竹仔藔トンネルを完成させ、東抗門に「双龍」の字を刻んだ[4]

第6師団参謀長第12師団参謀長などを歴任し、1900年(明治33年)4月、陸軍少将に進級[1][3]佐世保要塞司令官清国駐屯軍司令官、清国公使館付、参謀本部付などを経て、日露戦争では臨時軍用鉄道監として出征し、仁川で任務を遂行した[1][2]。鉄道監、下関要塞司令官を歴任し、1906年(明治39年)7月、陸軍中将となる[1][2][3]第8師団長、第12師団長、近衛師団長を経て、1915年大正4年)2月、後備役に編入[1][2][3]

1907年(明治40年)9月、男爵を叙爵し華族となり、貴族院男爵議員を1918年(大正7年)7月10日から[5]死去するまで務めた[1][6]

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栄典

位階
勲章等
外国勲章佩用允許
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親族

脚注

参考文献

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