トップQs
タイムライン
チャット
視点

岐阜県立揖斐高等学校中部分校

岐阜県揖斐町にあった高等学校 ウィキペディアから

Remove ads

岐阜県立揖斐高等学校中部分校(ぎふけんりついびこうとうがっこう ちゅうぶぶんこう)とは、かつて岐阜県揖斐郡揖斐町(現・揖斐川町)にあった公立高等学校分校

概要 岐阜県立揖斐高等学校中部分校, 国公私立の別 ...

概要

  • 揖斐高等学校の定時制の分校であった。1949年時点の生徒数は、農業科37名、家庭科24名。
  • 1948年、岐阜県立揖斐農林学校が岐阜県立揖斐農林高等学校に改称、学区制実施に伴い総合制高等学校に改組されたさい、旧・揖斐郡中部青年学校の生徒のために設置された。設置者が定まっていなかった[注釈 2]こともあり、運営費は農場の売り上げを充てていた[1]。本校に近いこともあり、わずか3年で廃校となった。
  • 跡地は揖斐川町立揖斐川中学校となっている。

沿革

  • 1948年(昭和23年)
    • 4月1日 - 岐阜県立揖斐農林高等学校中部分校として開校。夜間定時制の農業科、家庭科を設置。校舎は旧・中部青年学校の校舎を使用する。
    • 4月15日 - 仮入学式を行う。中部分校の生徒は女子のみであり、男子は本校に通学する。
    • 7月4日 - 授業を開始。
    • 11月24日 - 設置が認可される。男女共学となる。
    • 8月23日 - 岐阜県立揖斐高等学校中部分校に改称する。
  • 1951年(昭和26年)4月1日 - 廃校。廃校時の生徒は被服科4名。生徒は本校に新設された定時制農業科、被服科に転入する。

脚注 

参考文献

関連項目

Loading related searches...

Wikiwand - on

Seamless Wikipedia browsing. On steroids.

Remove ads