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島田政辰
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島田 政辰(しまだ まさたつ)は江戸時代初期の武士(旗本)。
生涯
延宝2年(1674年)7月18日、13歳の時に初めて将軍徳川家綱に拝謁し、天和3年(1683年)9月25日には小姓組の番士となる[1]。
元禄元年(1688年)3月28日に進物番、元禄3年(1690年)5月18日には桐間番を務めた後、6月28日に小姓、8月18日に中奥番士となる。元禄14年(1701年)8月11日に徒頭に任命され、同年12月18日に布衣の着用を許可される。また、同年12月22日に200石を加増され、翌元禄15年(1702年)に領地を賜り、下野国内で500石を知行された[1]。
宝永元年(1704年)8月11日には書院番組頭に任命され、宝永2年(1705年)12月23日に父の遺跡を継ぎ、武蔵国入間郡、上野国邑楽郡・山田郡、下野国梁田郡にて2500石を知行(前に与えられた所領は収公された)[1]。
宝永5年(1708年)6月28日に普請奉行に転任し、宝永7年(1710年)12月18日に従五位下佐渡守に叙任された。享保4年(1719年)1月11日に旗奉行、享保6年(1721年)5月20日に留守居となった[1]。
享保8年(1723年)2月7日、62歳で死去[1]。
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脚注
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