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川目太郎
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川目 太郎(かわめ たろう、1895年(明治28年)10月15日[1] - 1950年(昭和25年)5月12日[1][注釈 1])は、大日本帝国陸軍の軍人。最終階級は陸軍少将。
経歴
1895年(明治28年)に埼玉県で生まれた[1]。陸軍士官学校第30期、陸軍大学校第41期卒業[1]。1938年(昭和13年)12月に第3軍参謀(情報主任)に就任し[3]、1939年(昭和14年)8月に陸軍砲兵大佐に進級した[3]。1941年(昭和16年)11月に第8師団参謀長(関東軍・第20軍)に転じ[1][3]、鶏寧に位置した[1]。
1943年(昭和18年)8月に陸軍少将に進級し[3]、1944年(昭和19年)2月に第20軍参謀長(関東軍・第1方面軍)に着任[1]。1945年(昭和20年)6月15日に第34軍参謀長(関東軍)に転じ[1]、終戦時は咸興に位置した[1]。終戦後にはソ連に抑留された[2]。1948年(昭和23年)1月31日、公職追放仮指定を受けた[4]。ハバロフスク地方で死去した[2]。
脚注
参考文献
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