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平目孝志
日本の元騎手(1960−2013) ウィキペディアから
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平目 孝志(ひらめ たかゆき、1960年1月5日 - 2013年8月9日)は、北海道沙流郡門別町[2](現・日高町)出身の元騎手・元調教助手。
経歴
要約
視点
1975年の高校入学を控えた春休みに近隣の牧場主から誘われ、栗東・諏訪佐市厩舎で騎手候補生となる[2]。1976年の正月に諏訪との諍いから殴り合いを演じ、一時は実家に戻ったが、騎手養成課程の教官に説得されて戻り、中山・二本柳一馬厩舎に移籍[2]。このため、諏訪と確執が発生し、一時は絶縁状態となり、関西所属騎手としての活躍は幻に終わったが、後日に諏訪と改めて面会し、和解している[2]。
1981年にデビューし、1年目の同年は3月1日の中山第3競走4歳未勝利・カミノジュピター(13頭中8着)で初騎乗[3] を果たすと、4月29日の東京第1競走4歳未勝利・マルゴグローリで初勝利[4] を挙げる。第1回ジャパンカップが行われた11月22日の東京では第4競走3歳新馬をガーベラターフ、準メイン第8競走4歳以上400万下をオンワードカチドキで勝利して[5]初の1日2勝[6]を挙げ、初年度は7勝[7]をマーク。
3年目の1983年には8月6日・7日の新潟で初の2日連続勝利[8]を挙げ、自己最多で自身唯一の2桁勝利となる24勝[7]をマーク。朝日杯3歳ステークスではオンワードカメルンに騎乗し、マリキータ・リキサンパワーを抑えてハーディービジョンの3着に入った[9]。
1984年にはオンワードカメルンで新潟記念3着、セントライト記念ではシンボリルドルフの2着、福島記念ではスズパレードの3着に入った[10]。
1987年から1991年には5年連続5勝以上をマークするが、1992年から1994年には3年連続で4勝に留まる[7]。
1992年からはアミサイクロンの主戦騎手を務め、全58戦中50戦に騎乗し、重賞勝ちを含む4勝全てを平目の手綱で挙げた[11]。
1992年11月東京の3歳未勝利をアタマ差[12]、1993年11月東京の500万下をクビ差[13]勝利。1994年は2月東京の900万下で16頭中14番人気ながら2着に入って枠連・馬連万馬券[14]の波乱を演出すると、続く3月中山の900万下では4着までハナ差[15]の接戦を勝利。夏は福島芝1200mのTUF杯2着、新潟芝1400mのNST賞3着、秋はダートに戻った中山の利根川特別3着と続けて好走し[11]、1995年には夏の福島芝1200mの磐梯山特別をアタマ差[16]勝利。1996年のマーチステークスでは14頭中14番人気ながらメンバー最軽量50kgを活かして逃げ切り、単勝10,060円・馬連88,960円の大波乱を起こす[17]。人馬共に唯一の重賞勝利[11] [18]となったが、アミサイクロンにとっては最後の勝利[11]となり、平目は同年の初勝利[18]であった。
1996年9月21日の中山第4競走4歳未勝利・ベルグエイシが最後の勝利[18]、オンワードカメルン産駒オンワードチェスト[19]に騎乗した1997年11月29日のステイヤーズステークス(13頭中13着)がラストライド[20]となり、11月30日付で現役を引退[21]。
引退後は二本柳一厩舎の調教助手となり、二本柳の定年後は1998年に開業した根本康広厩舎の最初の調教助手として所属[22]。
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騎手成績
- 主な騎乗馬
- アミサイクロン(1996年マーチステークス)
出典
参考文献
関連項目
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