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康暦
日本の元号 ウィキペディアから
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改元
菅原秀長の『迎陽記』によれば、室町幕府から准三后二条良基を介して、改元の日時や使用する文字に関して様々な介入があったことが記されている[1]。当時、改元は朝廷の権限であったが、室町幕府の同意なくして実現できなかった状況を反映している[2]。
出典
『唐書』の「承成康之暦業」から。勘申者は式部大輔菅原長嗣。
康暦期におきた出来事
- 元年(1379年)
- 2月、室町幕府将軍足利義満が土岐頼康らの追討令を出す。
- 3月、関東管領の上杉憲春が鎌倉公方の足利氏満を諫止するために自害する。
- 7月、伊勢貞継が幕府政所執事に就任する。
- 義満が幕府管領の細川頼之を罷免し、頼之が幕政から失脚する康暦の政変が起こる、後任は斯波義将。
- 2年(1380年)
西暦との対照表
※は小の月を示す。
脚注
関連項目
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