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天授 (日本)
日本の元号 ウィキペディアから
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天授 (てんじゅ)は、日本の南北朝時代の元号の一つ。南朝方で使用された。文中の後、弘和の前。1375年から1381年までの期間を指す。この時代の天皇は、南朝方が長慶天皇、北朝方が後円融天皇。室町幕府将軍は足利義満。
改元
出典
出典は不詳だが、『史記』淮陰侯列伝の「且陛下所謂天授、非人力也」によるか。勘申者は権大納言右近衛大将花山院長親と伝わる[2]。
天授年間の出来事
※ 南朝関係に限る。
- 元年(1375年)
- 2年(1376年)
- 4月 - 『百番歌合』が催される。
- 6月 - 長慶天皇・東宮煕成親王が『千首和歌(天授千首)』を発意する。
- この夏 - 菊池武朝が後征西将軍宮(良成親王か)を奉じて肥後国府に出陣し、今川了俊・大内義弘から防備する。
- 12月 - 今川満範・相良前頼・伊東氏祐らが日向都城を攻め、島津氏久は救援のため天峰に出陣する。
- 3年(1377年)
- 1月13日 - 今川仲秋が肥前千布・蜷打で菊池武朝と交戦して破る(肥前蜷打の戦い)。
- 7月13日 - 宗良親王が嘉喜門院に対して詠歌(『嘉喜門院集』)の提出を要請する。
- 8月12日 - 菊池武朝が肥後臼間野・大水関で今川仲秋・大内義弘らと交戦して敗退する(鎮西合戦)。
- この冬 - 宗良親王が信濃へ向かう途中、長谷寺に入って落飾する。
- 4年(1378年)
- 5年(1379年)
- 1月22日 - 山名義理・氏清らの北朝方が和泉土丸城の橋本正督を攻略する。
- 3月1日〜3日 - 島津氏久が日向蓑原で今川満範を攻撃して破る(蓑原の合戦)。
- 6月17日 - 菊池武朝が肥後団山に出陣し、今川仲秋と交戦する。
- 9月 - これ以前、行宮を吉野から栄山寺に移す。
- 6年(1380年)
- 7年(1381年)
- 1月 - 内裏歌会が催される(『新葉和歌集』に見える年次の明らかな最新の和歌会)。
誕生
- 2年(1376年)
- 3年(1377年)
死去
- 3年(1377年)
- 5年(1379年)
- 6年(1380年)
西暦との対照表
※は小の月を示す。
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脚注
関連項目
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