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徳丸哲史

日本の野球選手 (1973-) ウィキペディアから

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徳丸 哲史(とくまる さとし、1973年8月9日 - )は、大分県出身の元社会人野球選手(投手)。右投右打。

概要 基本情報, 国籍 ...

来歴・人物

大分県立臼杵高等学校から明治大学に進学、野球部でプレーした。3年次には春のリーグ戦で優勝に貢献する活躍を見せている。野村克則とは同期でバッテリーも組んだ。

大学卒業後の1996年三菱自動車川崎に入社。チームのエースとして同僚の谷村逸郎らと投手陣の屋台骨を支え、第71回第74回第76回のチーム優勝に貢献した。

2006年限りで現役を引退。当初は三菱ふそうトラック・バスで社業に就く方針だったが、それを知った熊本ゴールデンラークス監督の田中敏弘がコーチとしてのチーム加入を懇願。徳丸はこれを受け入れて翌2007年から投手コーチとして移籍、同年チームを第78回都市対抗野球での本大会初出場に導いた。

2010年からは田中の後を受けて熊本ゴールデンラークスの監督に就任。チーム指導のモットーは「野球人たる前に立派な社会人たれ」[1]

2012年シーズンをもって退任した後は、マネージャーや部長を歴任した。

2021年より、田中が代表理事を務め九州アジアリーグを運営する「一般社団法人九州アジアプロ野球機構」のスタッフとなった[2]。その後専務理事を経て、2022年10月より田中の後任として代表理事に就任した[3]。九州アジアリーグの運営母体は2024年シーズンから、「九州アジアベースボールリーグ株式会社」に変更になったが[4]、徳丸は引き続き同社の代表取締役を務めている[5]

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脚注

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