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惣円寺

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惣円寺
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惣円寺(そうえんじ / 惣圓寺)は、埼玉県秩父市東町にある浄土宗の寺院[1](秩父市唯一の浄土宗寺院[2])。正式には光臺山 無量院 惣圓寺(こうだいさん むりょういん そうえんじ)と称する。秩父七福神めぐりの一寺。江戸時代には、当寺の鐘が、忍藩秩父領の標準時刻を報知する役を果していたことから、秩父絹市、秩父夜祭等は当山の鐘の音色を合図により開始されており、音色は秩父の山々に響き、無量寿仏の里を示す音色となっていたと伝えられる[3]

概要 惣圓寺(惣円寺), 所在地 ...
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歴史

創建

当寺は、光臺山惣圓寺と称し、浄土宗の寺で、開祖は法然上人、本尊は阿弥陀如来(快慶作)。起源・伝承によると武蔵国秩父郡武甲庄浦山大神楽(現秩父市大字浦山地区)に「宋圓寺」(後に「總圓寺」)として創建。山内には、阿弥陀如来・善光寺如来・八臂大弁財天薬王菩薩(兄)・薬上菩薩(弟)等が祭られていたが、後世、兄の薬王菩薩は浦山の地に残り、弟の薬上菩薩は両神の薬師堂となり、如来様は秩父(大宮郷)の現在地に遷座した。

当山

当山現在地は、戦国武将・閑野(しずの)帯刀の館であったが、商人として熊谷宿に移ったことから、寛永年間(1624〜1645 年)に邸跡を譲り受けた。初代関東郡代伊奈氏の三男で鴻巣勝願寺の上人であった忠武が開山上人となり、浦山より「總圓寺」を当地に移し、開山日誉源貞上人として入寺。物心ただ円かれと願う寺(慈悲の恵の無量寿の里)として、惣圓寺と称した。尚、当時当地は中町なる名称であったが、その東側に新寺建立となったので中町の「新寺横町」「東横町」「東町」と今日の町名となっている。

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境内

要約
視点

御本尊「阿弥陀如来」

本尊の阿弥陀如来は、鎌倉時代・快慶作と伝えられており、埼玉県有形文化財に指定(1967年)[4]1991年(平成3年)10月には、埼玉県立博物館開館20周年記念として催された「さいたまの名宝国宝・重要文化財展」に出展され、鎌倉時代中期作で、京都より運ばれてきた作品であり「仏師快慶が創始した『安阿弥様』を受け継ぐ、快慶周辺の仏師作と思われる」と評された。その後、東京国立博物館にて、完成以来およそ700年に及ぶ信仰の歴史を今後に伝えるため、1年間の修復期間を費やし帰還。

守護神「八臂大弁財天」

当寺守護神として祀られる「八臂大弁財天」(はっぴだいべんざいてん)は、七福神の中の紅一点で、元はインドヒンドゥー教の女神であるサラスヴァティー神。七福神の一柱としては、「才」の音が「財」に通じることから「弁財天」と記載されることも多い[5]。開山当時より地域民衆の信仰を集めてきたが、秩父大火(1878年)により諸堂とともに御尊像焼失。しかし、当山言い伝えによればその霊徳は減滅せず、当山18世住職の山極信達(正僧正、長野県千曲市宗安寺 (千曲市)出身)の夢枕に再度御姿を現され、不思議に感じ近郷近在にその御姿を求めたところ、「開運八臂大弁財天神 / 弘法大師御作 / 秩父惣円寺」とある掛軸を見つけられたとされ、その御姿を現在の御尊像として再現。1976年(昭和51年)に開運秩父七福神巡りがひらかれてからは、その紅一点の女神として家内安全・商売繁昌・天下泰平等の霊験を求め訪ねられる参拝祈願の方々も多い[6]

弁天堂 / 願掛け華供養観音像 / 青銅の縁結び鳳凰観音像 / 反除不動尊 / おすくい六地蔵尊 / 悪夢厄除夢違観音 / ゾウの石像 / 境内社 小社

梵鐘「清浄」

当寺の梵鐘は、江戸時代に忍藩秩父領の標準時刻を報知する役を果たしていたことから、秩父絹市、秩父夜祭等は当山の鐘の音色を合図により開始されていたという。梵鐘の歴史は古く、初代梵鐘は鎌倉初期の1191年(建久2年)寄進と伝わるが、その後、何度もの山崩れ等により消失。2代目には1313年(正和2年)修理銘が梵鐘に残されていたと伝えられる。その後、秩父氏の一族武将である畠山重能の末裔が落居地に持ち出し保存されたものの、1878年(明治11年)の秩父大火にて焼失。また、第二次世界大戦時の1943年(昭和18年)には梵鐘供出の至上命令が下り熔解されるも、戦後の1948年(昭和23年)4月、末裔の者が以前同様に再鋳造し保存された。その後、当山19世住職の山極隆信(正僧正)の代である2012年(平成24年)に、佛縁あり「法然上人800年遠忌」を経て、当山に再還。境内地に鐘楼を設置し、江⼾時代より当寺継承の鐘の音を再現している。

本堂

秩父大火により諸堂は焼失したが、この経験から、総体が白漆喰込なる和風建築を洋風手法で防火構造にした特徴ある建築物として現在の本堂が再建された。その後、第18世山極信達住職(中興明誉上人)の代の1984年(昭和59年)より2年をかけて「宗祖法然上人御降誕850年」及び「当山創立360周年記念事業」として、本堂・弁天堂の修復、境内整備が進められ、また、秩父大火以来仮設であった庫裏の新築等の聖業を経て現在に至る。

御本尊 阿弥陀如来像 / 不動明王像 / 七福神石像 / 出世銭亀 / 念仏カエル / 石祠 / 夢達観音像 / 水盤に河童 / 真実の口 / 兎と亀の石像

塔頭「三尊院」

当山の塔頭として、19世住職の山極隆信により、道を隔てて隣接する地(秩父市東町14)に建立された。

社殿 / 三尊仏像 / 仁王像 / 宋風獅子型狛犬 / 一偶蛙 / 五層の石塔

秩⽗第⼀⼩学校発祥の地

1873年(明治6年)4月には、旧市内中⼼に位置した当寺に、秩父第一小学校の前身となる秩父初の学校が設置され、当時の地域名称から大宮学校と称した[7]。しかしながら、5年後の1878年(明治11年)の秩父大火により諸堂は焼失。その後は秩父神社境内、秩父駅前に校舎移転し、現在地に至っている。

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文化財

木造阿弥陀如来立像 (埼文指 第218号 昭和42年3月28日指定)[8]

秩父七福神

秩父七福神は以下7寺院にて構成され、それぞれの寺に異なる福神が祀られている[9]

さらに見る No., 寺院名 ...

歴代住職

要約
視点
さらに見る 代, 尊銘 ...

1世住職 伊奈 忠武

18世住職 山極 信達

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アクセス

周辺

関連

脚注

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