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扇屋墨河

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扇屋 墨河(おうぎや ぼくが、延享元年(1744年) - 寛政13年1月11日1801年2月23日))は、江戸時代中期の吉原の妓楼「扇屋」の主人。通称は宇右衛門、鈴木氏。墨河は号。狂歌師としても知られ、狂名を棟上高見(むねあげ の たかみ)と号した[1]

概要

「扇屋」は新吉原江戸町の大見世で、主人である墨河は十八大通の一人に数えられた。扇の雅称を「五明」と言ったことから「五明楼」とも称し、これが吉原で初めて遊女屋に「楼」の名の付けられた見世であるという[2][3][4]喜多川歌麿の美人画に描かれた名妓・花扇は扇屋抱えの遊女である[5]

教養人として知られ、和歌俳句・狂歌のほか、書画にも通じた。特に和歌・書は加藤千蔭に師事。また狂歌を四方赤良に学び、加保茶元成主催する吉原連に属した。妻も垢染衣紋の狂名で知られる狂歌師である[2][1][6]。画は北尾派風の美人画を残した[2]

登場作品

出典

参考文献

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