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扶桑町議会
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扶桑町議会(ふそうちょうぎかい)は、愛知県丹羽郡扶桑町に設置されている地方議会である。
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概要
1906年(明治39年)、高雄、山名、豊国、柏森の4ヶ村が合併して扶桑村が誕生し、第1次の村議会議員が選出されて以来、2020年(令和2年)の町議会議員は第30次にあたる。
議会の運営については、戦前は村長が議長を務めるのを通例としていたが、戦後は議員の中から選出された議長、副議長が議会運営にあたるようになった。また、地方自治法の規定により、1956年(昭和31年)より扶桑町議会委員会条例を制定し、議員はそれぞれの委員会に分かれ分担を決めて議会活動をしている。なお、近年地方行政が広域化し、市町村の共同組織等が数多く設置され、それらの議会議員としても市町村を代表して一部の議員が参加活動している。
委員会
- 議会運営委員会
- 常任委員会(2委員会)
- 総務建設常任委員会・福祉文教常任委員会
- 特別委員会(3委員会)
- 議会改革特別委員会・予算決算特別委員会・議会だより編集特別委員会
会派
(2025年5月27日現在[2])
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所属議員
議員定数は戦前18名であったが、戦後は26名となり、その後、1986年(昭和61年)5月の選挙(第22次)から4名の定数減となり22名、2004年4月の選挙(第26次、無投票)から2名の定数減となり20名、2008年4月の選挙(第27次)から4名の定数減となり現在は16名。
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議員報酬と政務活動費
- 議員報酬
- 政務活動費
議員1人につき、年額6万円[3]。
本会議活動状況
議会の本会議は、年4回の定例会(3月、6月、9月、12月)と臨時会に分かれている。本会議は各種条例の制定、予算、決算、その他(契約、人事案件等)の承認や認定が行われる。
沿革
- 1996年
- 5月17日 - 最大会派の「桑政会」が正、副議長などの選出方針を巡って解散[4]。
- 5月21日 - 旧「桑政会」の14人のうち滝正昇を除く13人が新たに「平政会」を組織。「桑政会」は1度は解散したものの、13人は「このままの状態を続けても得策でない」と最終的に意見が一致し、会派を組織し直し、会派の名前を新たな気持ちで出発するため、「平政会」に改めた。滝は「納得がいかない」と当面、どの会派にも所属しない考えを示した[5]。
- 1998年
- 2月25日 - 「新政会」(後藤利兼、佐橋稜威男、水野渡)が無会派の2人を加えて、新たに「真政クラブ」を組織。1996年5月、副議長人事に絡む紛糾で「桑政会」がいったんは解散し「平政会」を組織した際、無会派のままとどまった滝正昇と、社民党から無所属となった古池勉の2人が合流した[6]。
- 2000年
- 1月20日 - 議員定数を22から2減の20にする関連の町条例一部改正案を賛成多数で可決。定数改定は14年ぶり[7]。
- 2002年
- 11月26日 - 最大会派の「桑政クラブ」と公明党の町議が「市町村合併を考える議員有志の会」を設立。愛知県が合併のモデルとして示している犬山、江南、岩倉3市と扶桑、大口両町の合併実現を目指す方針を決めた[8]。
- 2003年
- 5月16日 - 新議長に小川郁子(桑政クラブ)を選出[9]。扶桑町議会初の女性議長。
- 11月25日 - 町長ら4役の給与と議員の報酬を12月から平均2・25%引き下げる条例改正案を可決[10]。見直しは1998年以来。
- 2004年
- 4月25日 - 扶桑町議会議員選挙実施[11]。無投票(1956年以来48年ぶり2回目)。犬山、扶桑の両市町の首長が合併特例法の期限(2005年3月)内の合併を目指すことで合意しており、任期が短くなることや、定数削減の可能性があることが背景にあった。
- 2005年
- 9月14日 - 第44回衆議院議員総選挙において、支持者らに江崎鐵磨への投票などを依頼し酒食でもてなした供応の疑いで間宮進示が逮捕された[12]。間宮は9月5日、犬山市内の料理旅館で自分の支持者13人に江崎への投票や票のとりまとめを依頼し、会席料理など一人当たり約7,000円分の酒食で接待した疑いがもたれた。会費は1,000円で、残り代金は間宮が負担し、数日後に店に支払ったという。間宮の逮捕を受け、江崎は急遽東京から戻り、14日午後、一宮市内で会見。間宮が江崎派とされたことについて「私は非常に心外。私から金を受け取って会をやったと言ったら、私は腹を切りますよ。一銭の授受もないのに、私まで連動するかのように扱われるのは、極めて迷惑千万だ」と自らの関与を強く否定した[13]。
- 9月28日 - 名古屋地検が公職選挙法違反(供応)の罪で間宮を名古屋簡易裁判所へ略式起訴[14]。簡裁は同日、罰金十万円の略式命令をした。間宮から接待を受けた支援者ら12人も同日、名簡裁へ略式起訴された。
- 2007年
- 3月23日 - 議員定数を20から16に削減する議員提出の条例改正案を賛成多数で可決[15]。定数が削減されるのは、2004年4月の町議選以来。
- 2008年
- 4月27日 - 扶桑町議会議員選挙実施[16]。
- 2010年
- 12月13日 - 間宮進示ら5人の上告審で、最高裁第一小法廷(金築誠志裁判長)は被告側の上告を棄却する決定をした[17]。間宮被告に罰金50万円、接待を受けた同被告の後援会幹部ら4被告に罰金10万円、追徴金6,830円を命じた一、二審判決が確定。間宮は事件後も2008年の扶桑町議選で当選し、2期目の任期途中だったが、公職選挙法と地方自治法の規定で町議を失職した[注釈 2]。
- 2012年
- 4月22日 - 扶桑町議会議員選挙実施[19]。
- 2016年
- 4月24日 - 扶桑町議会議員選挙実施[20]。同日に行われた扶桑町長選挙に立候補した千田勝隆、梅村治男が自動失職(辞職時期は不明)。千田が当選し第10代扶桑町長に就任した。
- 2020年
- 4月26日 - 扶桑町議会議員選挙実施[21]。無投票(2004年以来16年ぶり3回目)[22]。
- 2021年
- 6月21日 - 議長の和田佳活が愛知県町村議会議長会副議長に選出された[23]。
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町政
2025年
6月定例会
- 6月2日 - 定例会を開会。207万円を追加する一般会計補正予算案など10議案と報告3件を上程[24]。
- 6月6日 - 5議員が一般質問。佐藤智恵子(公明)への町側の主な答弁は次の通り[25]。学校プールのあり方について、民間プールを活用すれば、施設老朽化や、教職員負担の対策となり、専門員の指導があれば泳力向上にも寄与する。しかし、町内には学校以外の水泳施設がない。プールは子どもたちからも人気が高い授業の一つなので、計画的に修繕し、当面は現状を維持したい。
- 6月7日 - 5議員が一般質問。大河原光雄(ふそう立志会)への町側の主な答弁は次の通り[26]。公有財産の現状と活用について、町が所有する土地は、2023年度末で31万5726平方メートル(バンテリンドームナゴヤ6.5個分)。借りていた土地の購入や、土地の先行取得などにより、2020年度末から1万2201平方メートル増えた。2027年度に施設の統廃合について方向性を示す予定で、用途の廃止や変更が生じると考えている。
- 6月19日 - 最終日。職員用パソコンを購入する議案など10件を可決[27]。
7月臨時会
9月定例会
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選挙
要約
視点
1952年(昭和27年)8月1日より町制が実施され、村議会議員がそのまま町議会議員となった。しかし、町制実施直後に議会の刷新を図るため全議員が辞職した。議員定数は26名のままとし、同年12月20日、町制実施後最初の選挙が行われた。扶桑村創立後、通算13次目の議員選挙となった。その後18回に渡って町議会議員の選挙が実施されている。
一般選挙
- 町制施政後
- 第12回までの出典:扶桑町史編纂委員会(編)『扶桑町史(下)』扶桑町、1998年、92頁。
第15回扶桑町議会議員選挙
2008年4月17日告示、4月28日執行 当日有権者数:26,352人 最終投票率:57.27% 定数:16人 立候補者数:18人
第16回扶桑町議会議員選挙
2012年4月17日告示、4月22日執行 当日有権者数:27,294人 最終投票率:51.31% 定数:16人 立候補者数:18人
第17回扶桑町議会議員選挙
2016年4月19日告示、4月24日執行 当日有権者数:27,098人 最終投票率:56.25% 定数:16人 立候補者数:20人
第18回扶桑町議会議員選挙
2020年4月21日告示、4月26日執行 当日有権者数:28,140人
定数16に対し、16人(現職12人、新人4人)が立候補を届け出て、無投票となった。無投票は2004年(平成16年)以来16年ぶり3回目[30]。
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外部リンク
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