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扶桑町
愛知県丹羽郡の町 ウィキペディアから
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扶桑町(ふそうちょう)は、愛知県の北西部に位置し、丹羽郡に属する町。
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概要
町の現況
愛知県の北西部に位置し、中部圏の中心である名古屋市から北に約20㎞の距離にある。扶桑駅から名鉄名古屋駅まで約30分、扶桑町役場から名古屋高速11号小牧線を経由して名古屋市都心部まで約30分という利便性の高い位置にあり、名古屋市のベッドタウンとして発展を続けている。
町名の由来
「扶桑」の名は、扶桑村が誕生した際の丹羽郡長が「本村は桑園多し、ゆえに扶桑と命名したならば」と述べたのを受けて名付けたとされる[1]。
地理
要約
視点
位置
日本のほぼ中央部、愛知県の北西部にあたり、濃尾平野の北部を占める扶桑町は、木曽川の流れによってできた犬山扇状地の扇頂近くの町である。御嶽山麓で生まれた木曽川が、木曽山脈・美濃三河高原の山中を、飛騨木曽川国定公園の美観を作りつつ流れ、ようやく山地を抜け、平野部へ出たところに位置している。
地形
町域は概ね平坦な地形で、木曽川が本町の北端を東から西に流れており、川沿いにはまとまった自然環境が残っている。
河川

- 一級河川
- その他の河川

地域
扶桑町は以下の地区(大字)で構成されている。
気候
人口
1906年(明治39年)4ヶ村を合併し、扶桑村となった頃は、人口およそ7~800人余、戸数1400戸余の自治体であった。1952年(昭和27年)町制施行当時の人口は1万319人で、しばらく人口の変動は少なかった。1958年(昭和33年)の中島住宅以降、相次いで住宅団地が建設され、人口・世帯数ともに急増していった。1970年(昭和45年)1月に2万人、1974年(昭和49年)9月に2万5千人、1993年(平成5年)に3万人を突破。人口減少に悩む自治体が多い中、名鉄犬山線で名古屋に出やすく、のどかな住環境が受けて微増を続け、町制70年の節目に当たる2022年(令和4年)には3万5000人に達した[3]。愛知54市町村中44位。ただし、国立社会保障・人口問題研究所の推計では、2020年から2025年に町の人口は減少局面に入るとみられている。
- 平均年齢 44.9歳(2015年国勢調査[4])
![]() | ||||||||||||||||||||||||||||||||||
扶桑町と全国の年齢別人口分布(2005年) | 扶桑町の年齢・男女別人口分布(2005年) | |||||||||||||||||||||||||||||||||
■紫色 ― 扶桑町
■緑色 ― 日本全国 | ■青色 ― 男性 ■赤色 ― 女性 | |||||||||||||||||||||||||||||||||
扶桑町(に相当する地域)の人口の推移
| ||||||||||||||||||||||||||||||||||
総務省統計局 国勢調査より |
隣接する自治体
周辺の市町は東は犬山市(木津・上野新町・上野・橋爪・五郎丸)南は大口町(河北・上小口・中小口・余野)西は江南市(中般若・下般若・和田勝佐・山尻・江森・前野)と隣接し、北は木曽川を隔てて、岐阜県各務原市に相対している。
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歴史
要約
視点
専修院東門
葉森神社
戦国時代
安土桃山時代
江戸時代
慶長年間(1596年~1615年)、扶桑地内には次の8ヶ村があった[5]。
文政年間(1820年頃)にはこの8ヶ村に下野原新田村が加わり、9ヶ村が確認できる[5]。
最多人口 |
最小人口 |

- 1609年(慶長14年) - 御囲堤完成。
- 1619年(元和5年) - 般若用水、井道完成。
- 1624年(寛永元年) - この頃、キリスト教が扶桑地方へ伝わる。高木村で布教が行われる。
- 1628年(寛永5年) - 大野杁を宮田へ移し、宮田用水と称する。
- 1637年(寛永14年) - 島原の乱。下野村でキリシタンの検挙が行われる。
- 1650年(慶安3年) - 木曽川の本堤に杁を敷設し、大井堀を開く。木津用水完成。
- 1654年(承応3年) - ヤロカ水の洪水。
- 1661年(寛文元年) - 寛文のキリシタン大検挙が始まる。高木村で多くの処刑者が出る。
- 1688年(貞享5年) - この年から1693年(元禄6年)までに、キリシタン、下野村で32人、柏森村で一人捕らえられる。
- 1727年(享保12年) - 北山名村で養蚕、製糸が広まる。
- 1729年(享保14年) - 覚王寺が現在地に移転。
- 1749年(寛延2年) - 安穏寺、知多郡篠島より当地に移る。
明治
大正
昭和
- 1947年(昭和22年)4月1日 - 扶桑村立扶桑中学校(現:扶桑町立扶桑中学校)創立[7]。
- 1951年(昭和26年)
- 1952年(昭和27年)8月1日 - 町制を施行して扶桑町が誕生。
- 1955年(昭和30年)1月28日 - 第2代北折博就任。
- 1956年(昭和31年)10月1日 - 「扶桑」誕生50周年。
- 1958年(昭和33年) - 中島住宅建設[9][10]。
- 1961年(昭和36年)1月25日 - 扶桑町商工会発足[11]。
- 1963年(昭和38年)1月28日 - 第3代扶桑町長仙田明一就任。
- 1965年(昭和40年)
- 1966年(昭和41年)11月20日 - 町の木「かし」制定[13]。
- 1967年(昭和42年)

- 1970年(昭和45年)
- 1972年(昭和47年)
- 1973年(昭和48年)
- 時期不明 - 扶桑町商工会館竣工[21]。
- 1974年(昭和49年)
- 1975年(昭和50年)1月28日 - 第4代扶桑町長亀井淳二就任。
- 1976年(昭和51年)
- 1979年(昭和54年)
- 1980年(昭和55年)
- 1982年(昭和57年)

平成

- 1995年(平成7年)6月24日 - 扶桑文化会館開館[43]。
- 1998年(平成10年) - 名鉄バスの路線が廃線となり、扶桑町内を運行する路線バスが全てなくなった[44]。
- 1999年(平成11年)4月25日 - 扶桑町長選挙(第14回統一地方選挙後半戦)実施[45]。第8代扶桑町長河田幸男就任。
- 2000年(平成12年) - 扶桑町総合福祉センター開館。
- 2002年(平成14年)
- 2003年(平成15年)
- 2004年(平成16年)
- 2005年(平成17年)7月12日 - 覚王寺、国の登録有形文化財となる。
- 2006年(平成18年)10月1日 - 「扶桑」誕生100周年。
- 2008年(平成20年)
- 2012年(平成24年)
- 2013年(平成25年)11月23日 - 扶桑町で作られた守口大根(191.7cm)が世界一長い大根としてギネス世界記録に認定[55]。
- 2016年(平成28年)
- 2017年(平成29年)
- 2018年(平成30年)
令和

自治体の変遷
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行政
要約
視点
町長
鯖瀬武(2020年(令和2年)5月13日就任、2期目[66][67])
歴代町長
町政が実施された1959年(昭和34年)1月28日に就任した初代、亀井定一から2020年(令和2年)4月26日に初当選した鯖瀬武まで、21代11人の町長がいる。
各種記録
- 存命中の町長経験者
2022年(令和4年)5月12日に江戸満が死去したため、現職者の鯖瀬武を除く存命中の町長経験者は、千田勝隆のみである。
副町長
北折廣幸(2021年4月1日就任[74]、2期目)
歴代副町長
町政機関

- 町役場
財政
114億4300万円 | ||
60億1527万円 | ||
11億7897万円 | ||
186億3725万円 |
町章
1966年(昭和41年)7月、扶桑村創立60周年記念、扶桑町役場新庁舎竣工記念として扶桑町のシンボルマークである町章を一般募集し、1967年(昭和42年)4月1日に制定された[15]。
扶桑の「ふ」の字を図案化し、扶桑町が将来に向って発展し続けるよう希望をこめたもの[75]。
広域行政
- 丹羽広域事務組合(扶桑町・大口町)
- 江南丹羽環境管理組合(扶桑町・大口町・江南市)
- 尾張北部環境組合(扶桑町・大口町・江南市・犬山市)
- 愛北広域事務組合(扶桑町・大口町・江南市・犬山市・岩倉市)
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議会
要約
視点
扶桑町議会
→詳細は「扶桑町議会」を参照
- 議長:丹羽友樹
- 定数:16人
- 任期:2024年5月13日 - 2028年5月12日
愛知県議会
1947年(昭和22年)に戦後、最初の県議会議員選挙が行われた。当時の丹羽郡は定員3名で、現在の犬山、江南、岩倉、扶桑、大口が選挙区であった。1959年(昭和34年)からは犬山市、江南市が独立し、岩倉、扶桑、大口で定員1名となり、1975年(昭和50年)からは岩倉市が独立し、現在は扶桑、大口の両町で定員1名となっている。
- 歴代選出議員
過去の選挙
- 2010年愛知県議会丹羽郡選出議員補欠選挙
衆議院
- 選挙区:愛知10区 (一宮市(旧尾西市域を除く)、江南市、岩倉市、大口町、扶桑町)
- 任期:2021年10月31日 - 2025年10月30日
- 投票日:2021年10月31日
- 当日有権者数:436,560人[77]
- 投票率:54.49%
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施設
要約
視点
警察
- 愛知県犬山警察署(本署は犬山市)
- 柏森交番
- 高雄駐在所
- 山名駐在所
消防
- 丹羽消防署(大口町)
- 扶桑出張所 - 1996年(平成8年)4月1日業務開始[78]。
医療・福祉
町内に拠点となる総合病院はない。町から近い病院としては江南厚生病院(江南市)やさくら総合病院(大口町)、総合犬山中央病院(犬山市)などがある。
郵便
- 扶桑郵便局 - 1881年(明治14年)3月11日、柏森郵便局として開局[79]。1909年(明治42年)6月1日、扶桑郵便局に改称。
- 扶桑駅前郵便局 - 1961年(昭和36年)4月開局[80]。
- 柏森駅前郵便局 - 1968年(昭和43年)11月開局[80]。
- 扶桑高雄郵便局 - 1969年(昭和44年)4月開局[80]。
- 扶桑駅前郵便局
- 柏森駅前郵便局
文化施設
交流施設
社会体育施設
総合体育館を始め総合グラウンド、町民テニスコート、緑地公園グラウンド、北部グラウンドがあり、広く町民に利用されている。
公園
市街化区域内を中心に、街区公園(6ヶ所、1.41ha)と都市緑地(3ヶ所、13.05ha)が指定されている。なお、市街化区域の一部には都市公園のない地区があり、児童遊園はあるものの、公園的機能は少ない傾向にある。
扶桑町では、以下の8ヶ所の都市公園が整備されている[83]。
- 柏森駅前公園
- 柏森北公園
- 柏森長畑公園
- 高雄公園
- 高雄南公園
- 斉藤公園
- 木曽川扶桑緑地公園
- 柏森東山緑地公園
- 普通公園
- 木津用水公園
- ふる里の森
- 柏森駅前公園
- 高雄公園
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対外関係
姉妹都市・提携都市
扶桑町には2021年現在、姉妹都市・提携都市は存在しない。
海外
- フレンドシップ相手国
2005年に開催された2005年日本国際博覧会(愛知万博)では「一市町村一国フレンドシップ事業」が行われ、名古屋市を除く愛知県内の市町村が120の万博公式参加国をそれぞれとしてフレンドシップ相手国として迎え入れた[84]。
経済
農業
- 愛知北農業協同組合(JA愛知北)
工業
→「Category:扶桑町の企業」も参照
- 扶桑町創業の企業
- 町内に本社を置く企業
- 町内に工場を置く企業
- 町内に倉庫を置く企業
商業
- 主な商業施設
金融機関
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事業所
2021年(令和3年)現在の経済センサス調査による事業所数と従業員数は以下の通りである[87]。
事業所数の変遷
経済センサスによる事業所数の推移。
従業員数の変遷
経済センサスによる従業員数の推移。
教育
高等学校
- 県立
- 愛知県立丹羽高等学校(1974年創立)[注釈 10]
- 私立
- 学校法人 愛知江南学園立誠信高等学校(1972年創立)
中学校
- 町立
- 扶桑町立扶桑中学校(1947年創立)
- 扶桑町立扶桑北中学校(1982年創立)
小学校
- 扶桑町立高雄小学校(1872年創立)
- 扶桑町立柏森小学校(1872年創立)
- 扶桑町立山名小学校(1873年創立)
- 扶桑町立扶桑東小学校(1979年創立)
- 学区
柏森小学校(南部) | 斎藤東、斎藤西、斎藤中、斎藤南、斎藤北、緑ヶ丘、高木東、高木西 柏森東1区、柏森東2区、柏森西、柏森南、柏森北、中島、花立、柏森レインボー |
高雄小学校(西部) | 北新田、羽根、羽根西、東川西、東川南、東川北、扶桑住宅、高雄団地、宮島、伊勢帰、扶桑台 |
山名小学校(北部) | 山那、小淵、大門、森、前野、野田、西村、寺前、中村住宅、扶桑紡績 |
扶桑東小学校(東部) | 南新田、高雄住宅、南定松、北定松、福塚、平塚、公団住宅 |
扶桑中学校 | 斎藤東、斎藤西、斎藤中、斎藤南、斎藤北、緑ヶ丘、高木東 柏森東1区、柏森東2区、柏森西、柏森南、柏森北、中島、花立、柏森レインボー 南新田、高雄住宅、南定松、北定松、平塚、公団住宅 |
扶桑北中学校 | 北新田、羽根、羽根西、東川西、東川南、東川北、扶桑住宅、高雄団地、宮島、伊勢帰、扶桑台 山那、小淵、大門、森、前野、野田、西村、寺前、中村住宅、扶桑紡績、※福塚、※高木西 |
- 福塚・高木西については、指定校の変更ができる。
生涯学習
2002年より、町立の小中学校に聴講生制度を導入している。希望すれば一般の人が小中学校の授業を受講できる。小中学校に導入したのは扶桑町が全国初[91]。
制度開始から20年を迎えた2022年には、扶桑町立扶桑東小学校で小学生と一緒に図画工作の授業を受ける80歳の男性がメディアに取り上げられて話題になった[91] [92]。
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交通
要約
視点
国道41号、主要地方道一宮犬山線をはじめ諸道路が整備され、自動車を使えば一宮市や名古屋空港へは30分程度、名神高速道路小牧インターチェンジ、中央自動車道小牧東インターチェンジには2、30分の距離である。また、犬山橋、ライン大橋、愛岐大橋などにより、岐阜県側との交流がいっそう容易になるという交通上恵まれた位置に立地している。
鉄道
名鉄犬山線で名古屋市・岐阜市へは30分前後、犬山市・江南市へ10分以内で結ばれ、さらに名古屋市から新幹線を利用すれば東京や大阪も日帰りビジネス圏である。
名鉄犬山線は尾北地域や隣接する岐阜県可児市、各務原市方面と産業経済、教育文化の中心地である名古屋方面を結ぶ公共交通機関として、多くの人々に利用されている。昭和30年代後半からは、名古屋圏のベッドタウンとして、沿線各地に住宅団地やアパートなどが次々と建設されて、犬山線の利用者は急増した。さらに昭和40年代以降は、名古屋圏も大きく発展し、住宅地に好適な丘陵地を持った犬山市や可児市、各務原市方面へ年を追うごとに広がり、犬山線の利用者は増加の一途をたどった。なかでも通勤通学者の集中する朝晩のラッシュアワーの混雑ぶりは甚だしいものがあった。
扶桑町内には、南から柏森駅、扶桑駅、木津用水駅の3駅が設置されている。3駅とも名鉄犬山線開通時(1912年〈大正元年〉8月6日)より設けられていた。1993年(平成5年)に名古屋市営地下鉄鶴舞線と相互直通運転を開始し、2005年(平成17年)の中部国際空港開業時には空港直通の列車も設定されるなど、県内他地域へのアクセス性が向上している。
町内3駅の乗降客数(1日平均)の推移は次のようである[93][94]。
2022年度、名鉄犬山線全20駅中、柏森駅は9位(9,323人)、扶桑駅は12位(5,847人)、木津用水駅は17位(1,865人)であった[95]。
バス
扶桑町内には2023年現在、コミュニティバスを含めてバス路線が存在しない。地方公共団体が運行するコミュニティバスがないのは県内で扶桑町のほか、江南市、岩倉市のみである[96]。
過去に名鉄バスが一宮・犬山線、浄心線、小淵・江南線の3つの路線を運行していた。小淵・江南線は1960年(昭和35年)7月、地元民の要望に応えて誕生したが、自家用車の普及によりバス利用者は減少し廃線となり、1998年(平成10年)に扶桑町内を運行する路線バスはなくなった。なお、名鉄バスは2009年(平成21年)にイオンモール扶桑と扶桑駅、柏森駅を結ぶ路線も開設したが、これも2010年(平成22年)に廃止となった。
デマンド型交通
道路
昭和30年代に入って、中部圏の産業、経済の飛躍的な発展に伴い、道路輸送が急激に増加して道路網の整備が急務となった。扶桑町では、その立地条件から名古屋市の衛星都市的性格を強め、住宅の建設や工場誘致などが行われた。また、1969年(昭和44年)10月には町東部を国道41号が貫通して、ますます交通量が増加してきたため、町の都市計画(総合計画)の重点目標の一つとして道路整備を取り上げ整備に努めてきた。現在扶桑町の主要な幹線道路は、国道、県道と都市計画道路がその役割を担っており、国道は41号の1路線、県道は主要地方道の一宮犬山線(中央道)をはじめ8路線である。
国道
都市計画道路 |
県道

都市計画道路 |
都市計画道路
都市計画法の施行(1969年)に基づいて1970年(昭和45年)に扶桑町都市計画が策定され、重要課題の一つとして道路の整備事業が取り上げられた。それにより、道路の新設、従来の道路の拡幅、歩道の整備、街路樹の植栽など、順次整備改良工事が進められてきている。都市計画道路として指定されているのは次の11路線[98]。総延長約 17,700m。うち国道1路線、県道6路線、町道4路線。2021年(令和3年)3月時点の整備率は 63.1%。国道41号線と小淵江南線は現在事業が進められている。
その他
- 町内の道路通称名
- 緑道
橋梁
ナンバープレート
扶桑町は、尾張小牧ナンバーが割り当てられている。
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寺社・史跡
神社
寺院
- 開覚寺(南山名寺前57)
- 観音寺(高雄南郷330-2)
- 悟渓寺(南山名本郷94)
- 地蔵寺(高木976)
- 仙林寺(高雄伊勢帰289)
- 善光寺(柏森前屋敷131)
- 薬師寺(小淵堤南1391)
古墳
扶桑町内の古墳時代の研究は、鳥居龍蔵が遠藤甚吉の発見した須恵器横瓶を鑑定したのに始まる。1931年(昭和6年)に発刊された『扶桑村誌』には、元亀塚、樫の木塚についての記録がある。1964年(昭和39年)、長泉塚古墳が愛知県指定文化財に登録された。現在、古墳の原形をほぼとどめているのは長泉塚古墳と舟塚古墳の二つ。しかし、他の地区からも古墳時代の遺物である直刀、土師器、須恵器などが出土することから、他にもいくつかの古墳が存在していたと考えられる[101]。
文化
名産品
文化財
- 国の登録有形文化財
- 町指定文化財
ふるさと納税
町内にメガネ赤札堂の本社があることから、レイバンのサングラスやハズキルーペ、補聴器などをふるさと納税の返礼品にしていたが、総務省から地場産品ではないとの指摘を受け、2018年12月をもってメニューから外した[102]。寄付者の8割がメガネ赤札堂の関係商品を返礼品に希望していたため、寄付額はこれ以降大きく落ち込んでいる[103]。
町制施行以前の出身者
- 南山名村
- 高雄村
- 扶桑村
町制施行以後の出身者
政界
官吏
音楽家
- 近藤名奈(シンガーソングライター)
- TSURU(STANCE PUNKSのボーカル)
- 高瀬統也(シンガーソングライター)
芸能人
名誉町民
扶桑町では1981年(昭和56年)3月28日、扶桑町名誉町民条例が制定されている。町民もしくは町に深いゆかりを持つ者で、政治・経済・文化等を通じ、社会の発展のため大きな功績を残すとともに、人格、識見が優れ、町民の尊敬を受ける者に贈られる称号である。しかし、現在まで名誉町民には一人も推挙されていない[104]。
扶桑町にゆかりのある人物
脚注
参考文献
関連項目
外部リンク
Wikiwand - on
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