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ふそう銀行

日本の銀行 ウィキペディアから

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ふそう銀行(ふそうぎんこう)は、鳥取県鳥取市に本店を置いていた第二地方銀行である。1991年4月1日に山陰合同銀行に吸収合併された。

概要 種類, 市場情報 ...
概要 ふそう銀行のデータ, 店舗数 ...

概要

1942年2月7日共済無尽と相愛無尽が合併し鳥取無尽として鳥取県東伯郡倉吉町明治町1031-1に設立。1944年2月28日本店を鳥取市東品治町に移転。1951年10月20日相互銀行法の施行に伴い、相互銀行に転換し、商号を扶桑相互銀行に変更した。1958年に融資先の倒産で経営危機に陥った際に、住友銀行の支援を受けて経営を刷新した。

社長は、徳田訓三が就任したのち、古田四郎(元住友銀行本店支配人)を経て、柴田太郎(元住友銀行本店支配人)、柏瀬宏(元住友銀行常任監査役)。

古田四郎社長時代に堅実経営で一応再建を果たしたが、柴田太郎社長時代に積極経営に転じ、店舗の広域展開で岡山県、兵庫県での営業を拡大し、預貸金の半分近くが本店所在地の鳥取県以外に占められることとなった。しかし、それが裏目に出て、資金調達では定期預金の割合が高かったため、他行よりも調達コストが高く、金利自由化の影響を受けた自由金利預金の増大で調達コストが上昇し、収益を減少させる原因となった。特徴である店舗の広域展開も他行との競争の間で採算が合わなくなりつつあった。また、鳥取県内でも1987年1月に大口融資先の日本フエラス工業が倒産するなど不良債権が増加した。

1989年4月1日普通銀行に転換し、商号をふそう銀行に変更。柏瀬宏社長の下で負の遺産の整理を進め、営業の重点を鳥取県内に移そうとしたが、将来性が乏しく、いずれ負担になるとの住友銀行の経営判断もあり、1990年9月下旬、ふそう銀行側から山陰合同銀行に合併を打診し、11月18日に1991年4月1日に合併すると発表された。柏瀬社長は「広域的な店舗展開を図ってきたが、収益を上げるのは難しかった。将来を展望するとふそうに力のあるうちに合併することがプラスと判断した」と述べている。

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営業店

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合併

合併に際して、公正取引委員会は、地方銀行の山陰合同銀行とふそう銀行が店舗網の統合による合理化等を通じた経営体質の強化等を図ることを目的として合併するものであり、合併後の会社は、全金融機関に占めるシェアが、島根県では預金残高で第1位32.8%(シェアの増加は1.5%)、貸出金残高で第1位49.4%(シェアの増加は2.8%)、鳥取県では預金残高で第1位30.6%(シェアの増加は6.6%)、貸出金残高で第1位47.8%(シェアの増加は11.5%)であるほか13市町村において合併によりシェアが大幅に上昇することとなるものの、合併後の会社のシェアが大幅に上昇する市町村の店舗が合併当事行から他の金融機関に譲渡される予定であること、大蔵省において合併当事行以外の金融機関の新規出店を弾力的に扱う措置が採られることとなったこと、本件は、金融自由化が進む中で将来の経営の見通しが難しくなったふそう銀行を救済するという性格が強く、山陰合同銀行以外に適当な相手方を見いだしがたいこと等の事情を考慮して、直ちに一定の取引分野における競争を実質的に制限することとなるとは言えないと判断した。合併比率は、山陰合同銀行1株に対して、ふそう銀行3株と完全な吸収合併で、柏瀬社長は専務取締役に降格した。

57店舗(鳥取県27店、岡山県12店、島根県9店、兵庫県7店、大阪府、広島県各1店)が継承された。

問題解消措置として旧ふそう銀行店舗の営業譲渡が行われた。鳥取銀行1991年9月24日に田園町、御来屋支店、11月5日に三朝東支店の3店の営業を譲渡し、同行は田園町、名和、三朝支店として譲り受けた。住友銀行1992年2月24日に鳥取駅前、郡家駅前、パープルタウン、日野橋東支店、6月8日に智頭東、浦安駅前、境中央、安来中央支店、10月12日に青谷駅前、江府本町、平田中央支店の11店の営業を譲渡し、同行は岡山支店の出張所として譲り受け、約半年間営業した後、首都圏への店舗設置のための配置転換の代替として廃止した。住友銀行出張所の廃止後、郡家駅前支店の土地・建物は鳥取信用金庫に、日野橋東支店の土地・建物は米子信用金庫にそれぞれ売却された。

ふそうの名称は、旧本店営業部が店名変更されたふそう営業部に残されたが、1994年4月1日に鳥取中央営業部に店名変更され消滅した。

沿革

  • 1932年5月1日 相愛無尽として鳥取県気高郡青谷町に設立
  • 1942年2月7日  相愛無尽と共済無尽が合併し、鳥取無尽となる。
  • 1951年10月20日 相互銀行に転換し、商号を扶桑相互銀行に変更
  • 1954年6月21日 本店を鳥取市東品治町122-1(のちの栄町403)に新築移転。
  • 1970年8月   鳥取県証紙取扱代理店並びに鳥取県収納代理店の認可
  • 1989年4月1日  普通銀行に転換。商号をふそう銀行に変更。
  • 1991年4月1日  山陰合同銀行と合併。

参考文献

  • 山陰合同銀行五十年史編纂室編 『山陰合同銀行五十年史』山陰合同銀行、1992年。
  • 日経金融新聞編 地方金融史研究会著『日本地方金融史』日本経済新聞社、2003年。ISBN 4532350514

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