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敦実親王

平安時代中期の皇族。宇多天皇の八男。一品・式部卿 ウィキペディアから

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敦実親王(あつみしんのう)は、宇多天皇の第八皇子[1]。母は皇太后藤原胤子で、醍醐天皇の同母弟。官位一品式部卿六条宮を称した。

概要 敦実親王, 時代 ...

経歴

延喜7年(907年)、宇多院にて元服し、親王宣下を受けて三品に叙せられる[2]。のち、上野太守中務卿・式部卿を歴任し、一品に叙せられた。

天暦4年(950年)に出家して法名を覚真と称し、仁和寺に住した。康保4年(967年)3月2日に享年75で薨去した[3]

人物

早世が多かった宇多天皇の皇子では唯一長命を保ち、内外から重んじられた存在であった。坂家宝剣を自ら肌身離さず持っていた。

和歌・管弦・蹴鞠など諸芸に通じた才人であったが、とりわけ音曲に優れ源家音曲の祖とされる。藤原忠房が作曲した舞楽曲の胡蝶延喜楽振り付けを加えるなど[4]、日本の音楽史上重要な人物である。勅撰歌人として、『後撰和歌集』に和歌作品が1首採録されている[5]

系譜

その他

一説に、歌人で琵琶の名手・蝉丸雑色として仕えたといわれる。

脚注

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