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斎藤邦唯

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斎藤 邦唯(さいとう くにただ、1929年11月17日 - )は、日本の俳優映画プロデューサーである[1][2][3][4][5][6]扇映画プロダクション代表[7]テレビ映画テレビドラマの出演者として知られていたが[1][6]、映画製作者に転向、渡辺護を監督に抜擢、渡辺のデビューから第9作までを手がけた[8][9][10][11]

概要 さいとう くにただ 斎藤 邦唯, 本名 ...

別字である藤 邦唯、誤記である斎藤 邦でクレジットされたこともある[2][5][6]

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人物・来歴

要約
視点

舞台俳優からテレビ俳優へ

1929年(昭和4年)11月17日、東京府(現在の東京都)に生まれる[1]。本名は同じ[1]

第二次世界大戦初期の1942年(昭和17年)4月に旧制中学校に入学、戦後の1947年(昭和22年)3月に卒業した[1]文学座巣鴨に附属演劇研究所を開校した1949年(昭和24年)[12]、同劇団に入団する[1]。同年に入団した俳優に高木均[13]、同じく文芸部員には矢代静一[14]がいた。その後、同団を退団して島田正吾辰巳柳太郎新国劇に移籍、次いで、演劇畑を歩んできたが、竹井諒(1901年 - 1970年)が1949年に設立した綜芸プロダクションに移り、映画界に転向した[1]。当時の同プロダクションの作品は、嵐寛寿郎主演の『鞍馬天狗』を中心とした時代劇剣戟映画が中心であった[15][16][17]。その後、1954年(昭和29年)に製作を再開した日活に入社する[1]。この時代の出演作についての資料は残っていない[1][2][3][4][5][6]

1957年(昭和32年)には、日本テレビ放送網16mmフィルムとVTRを駆使して製作し、日本で初の刑事ドラマとされる『ダイヤル110番[18]に出演した[1]。次いで同年10月7日に放送を開始した朝丘雪路の主演作『すいれん夫人とバラ娘』に出演[1][6]、同作は、渥美清のテレビデビュー作として知られる[19]。『テレビ大鑑 1958』によれば、同書が発行された1958年(昭和33年)6月20日時点では、衣笠プロダクションに所属しており、東京都北多摩郡国立町(現在の国立市)に住んでいた旨の記述がある[1]。当時の民間テレビ局は、16mmフィルムを媒体として製作するテレビ映画に力を注いでおり、斎藤は、中部日本放送(現在のCBCテレビ)が主体となって中央映画貿易とともに製作、1959年(昭和34年)5月17日に放映を開始したテレビ映画『警視庁鑑識科学シリーズ 決め手』に助演した[6][20]。同作の監督の都成潔東宝[21]から、テレビ映画の宣弘社プロダクションと渡り歩いた人物であり[22][23]、斎藤はさらにフィルムの世界に進んでいった[2][3][4][5][6]

折込広告社(現在のオリコム)が製作し、前年4月1日に放映を開始した連続テレビ映画『まぼろし探偵』が人気を博したため、映画化が決まり、三東映画が製作し、新東宝が配給、1960年(昭和35年)2月14日に公開された劇場用映画『まぼろし探偵 地底人襲来』に「橋本」役で出演した[3][4][5]。同作は、テレビ版に引き続き吉永小百合が出演していることでも知られる[24][25]。同年7月5日からは、連続テレビ映画『アラーの使者』が放映を開始、同作に「宇野刑事」役で出演した[6]。同作には、のちに斎藤が製作した渡辺護の監督作『情夫と牝』(1965年10月公開)、『浅草の踊子 濡れた素肌』(1966年1月公開)、『うまず女』(1966年3月22日公開)、『絶品の女』(1966年7月12日公開)に出演した武藤周作が「紅とかげ団四号」役で出演している[6][26]。「紅とかげ団一号」役を演じた福島亨は、のちにメトロ芸能社映画部で『女のふくらみ』(監督鶴巻次郎、主演桂奈美、1966年7月公開)を製作した[27]。その後、斎藤は、映画の製作スタッフに転向した[28]

映画製作者に転向

渡辺護の回想によれば、1964年(昭和39年)、渡辺が助監督を務めた『悶える女子学生』(監督南部泰三、同年11月公開)では、斎藤は、同作の製作を務めていたという[28]。同作の宣伝ポスターには、「斉藤邦雄」の表記(誤記)で出演者としてクレジットされている[29]。満35歳であった1965年(昭和40年)4月には、扇映画プロダクションを設立、製作を開始する[7]。設立第1作は同年6月に公開された『あばずれ[30]、同作は抜擢された渡辺護の第1回監督作品でもあり[26]、斎藤は「製作」にクレジットされた[31]。同作は旧・新東宝関西支社の後身である新東宝興業(現在の新東宝映画)が配給したが、出資者は俳優の伊豆肇であったという[32]

1966年(昭和41年)8月23日に公開された『女子大生の抵抗』(監督渡辺護)をもって、扇映画プロダクションは活動を停止した[9][33][34]。同社の活動停止以降、斎藤邦唯の活動は不明であるが[2][3][4][5][6]、生前の渡辺護(2013年12月24日死去)は、斎藤とは「まだつきあいがあります」と語っていた[28]。その後も存命であれば2015年(平成27年)には86歳になる[1]

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フィルモグラフィ

要約
視点

特筆以外すべて「出演」である[1][2][3][4][5][6]東京国立近代美術館フィルムセンター(NFC)、デジタル・ミーム等での所蔵状況も記した[2][35]

1950年代

  • ダイヤル110番 : 企画北川信、製作日本テレビ放送網、1957年9月3日 - 1964年9月6日放送(連続テレビ放送劇・全364回) - 1957年に出演[1]
  • すいれん夫人とバラ娘 : 演出不明、原作中野実、脚本若尾徳平、主演朝丘雪路、製作日本テレビ放送網、1957年10月7日 - 同年11月11日放送(連続テレビ放送劇・中野実アワー・全6回) - 出演
  • 『相棒』 : 演出不明、原作加茂七三朗、主演長門裕之西村晃、製作日本テレビ放送網、1957年10月23日放映(テレビ放送劇) - 出演
  • 日本の歌 : 演出池田義一緒方勉北川信、製作日本テレビ放送網、1957年 - 1958年放送[1](連続テレビ放送劇・回数不明) - 出演(回不明)
  • 蛮茶物語 : 演出不明、脚本北條誠、主演北原隆、製作日本テレビ放送網、1957年12月30日 - 1958年3月31日放映(連続テレビ放送劇・全14回) - 出演
  • 特ダネをにがすな! : 監修岡田録右エ門、監督小松達郎、脚本長谷川公之窪田篤人山口純一郎西島大久板栄二郎、製作KR電通企画第一部、1956年10月19日 - 1959年5月29日放映(連続テレビ映画・全134回) - 1958年に出演[1]
  • 赤西蛎太 : 演出安藤勇二、原作志賀直哉、脚本川内康範、主演田崎潤、製作日本テレビ放送網、1958年1月7日 - 同28日放映(連続テレビ放送劇・山一名作劇場・全4回) - 出演
  • 警視庁鑑識科学シリーズ 決め手 : 製作星野登、監督都成潔、脚本咲坂比呂志松田伊佐夫荒木芳久、主演天津敏、共演里木三郎大木弦介、製作中部日本放送中央映画貿易、1959年5月17日 - 同年11月8日放映(連続テレビ映画・全26回) - 出演

1960年代

1965年4月の扇映画プロダクション設立以降のフィルモグラフィは、

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脚注

参考文献

関連項目

外部リンク

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