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新宿ロマン劇場

かつて東京都新宿区にあった映画館 ウィキペディアから

新宿ロマン劇場
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新宿ロマン劇場(しんじゅくロマンげきじょう)は、かつて1971年から1989年まで、東京都新宿区新宿3丁目にあった映画館。建物は、1924年に新宿松竹館として開館したものであったが、1989年の閉館後、程なくして解体された。

概要 新宿ロマン劇場 Shinjuku Roman Theater, 情報 ...

ここでは、同じ施設で営業されていた前身館である新宿松竹館新宿ハリウッド新宿大映についても述べる。

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歴史

新宿松竹館

  • 所在地は、当時の表示では四谷区新宿三丁目であった[2]
  • 1923年12月31日 - この日を「開館」とする資料がある[3]
  • 1924年12月1日 - 開業[4]。建物は、阿部美樹志の設計によるバラック建築で、客席は3階建てになっていた[5]。この時点では、帝都興行が経営していた[6]。当初は松竹の封切館であり、新築落成披露興行では、『不如帰 浪子』(1922年池田義臣監督)など3本が上映され、奏楽もおこなわれた[7]
  • 1926年 - マキノ・プロダクションの『文明の復讐』を上映し、以降、松竹以外の映画も上映する方針をとる[8]
  • この頃には「東京山の手の日本物専門代表館」と評されており、もっぱら日本映画を上映していたが[8]、映画以外の実演の興行に利用されることもあった[9]
  • 1931年6月5日 - 増改築のため興行を終了[10]
  • 1931年10月 - 6階建ての建物に増改築して再開[4]
  • 1932年 - 新宿武蔵野館の従業員ストライキに際し、同一系列であった新宿松竹館の従業員の一部もストライキに参加した[11]
  • 1943年 - 演劇の上演が行われるようになる[3]
  • 1944年9月1日 - 映画の上映をやめ、もっぱら実演をおこなう演芸場に転向した[12]
  • 1945年4月 - 軽演劇を中心とした興行に移行。
  • 終戦直後は焼夷弾で屋根に穴が空き、雨漏りする状態だったという[4]。戦後は、屋上の広告塔が撤去され、外壁も改装された[6]
  • 1946年3月 - 映画館としての興行を再開。

新宿ハリウッド

新宿大映

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1953年頃の写真。写真右手前から2番目の建物が新宿大映である[14]

新宿ロマン劇場

跡地

  • 跡地には丸井が地下2階地上8階の商業ビルを建て、2004年8月まで営業していたが、その後、コメ兵が賃借し、2005年8月に買取センターを設け[24]、11月にKOMEHYO新宿店を開店した[25]。KOMEHYO新宿店は、2020年2月29日に閉店した。それから10ヶ月後の12月21日に東急不動産所有「キュープラザ新宿三丁目」として開業した[26]
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建築

1924年に開業した際の建物は、建坪180坪、鉄筋コンクリート造で[3]、3階建てになっていた客席に合わせてファサードも3階分になっていたが[5]1931年に増改築が行われて上部に塔屋が追加され、6階建ての上に、さらに、光源が仕込まれた高さが8mある円形のガラス張りの広告塔が載せられた[6]。当時、この広告塔は高田馬場あたりからも見えたといい、「山の手銀座・新宿のシンボル」と称されたという[6]

建物の内装には、大理石タイルが随所に用いられていた[6]。また、開館当時は無声映画の時代であったため、地下には弁士の控室が設けられていた[6]

脚注

外部リンク

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