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日本三古碑

多賀城碑、多胡碑、那須国造碑、宇治橋断碑 ウィキペディアから

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日本三古碑(にほんさんこひ)は日本各地に点在する古代碑のうち、書道史の上から極めて重要とされている金石文)に関する名数

概要 全ての座標を示した地図 - OSM ...

概要

宮城県多賀城市多賀城碑[1]群馬県高崎市吉井町多胡碑[1]栃木県大田原市那須国造碑[1]、および、京都府宇治市宇治橋断碑[1][2]がそれぞれ日本三古碑と呼ばれている。いずれも飛鳥時代奈良時代にかけての8世紀前後のものである。

古来古墳時代から鉄剣やなどに文字を刻み、墓の墓誌や死者の副葬品、あるいは特定の出来事を記録する記念碑など多種多様の金石文が作られた。多くが時代の闇の彼方に姿を消すものの、金属や石などの剛健な物に刻まれている事から、伝来、若しくは発掘された場合、当時の出来事を鮮明に伝えるものとなる。そうした石に刻まれた金石文、即ち「碑」の中で、書道史上から重要とされ日本三古碑と言われるようになった。

三古碑というまとめ方が生じたのは明治時代に入ってからと考えられているが、その経緯は不明である[3]。考古学的に古い順によるものではなく、これらより古い碑が存在する。例えば多胡碑の周囲には山ノ上碑金井沢碑という古代碑が点在しており、多胡碑を含め上野三碑と呼ばれる。この中で一番古いのは681年建碑の山ノ上碑であり、8世紀後半建碑と推定される多胡碑より古いだけでなく、日本三古碑中最古の建碑である那須国造碑(700年建碑)よりも古い。

さらに見る 名称, 多賀城碑 ...
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多賀城碑

天平宝字6年(762年12月1日建碑。奈良時代に建設された多賀城の修築記念に建碑され、多賀城までの各地域からの行程、及び設置、修築の経緯が刻まれている。国宝に指定されている。

多胡碑

和銅4年(711年3月9日多胡郡が設置された事を記念するために建碑。弁官局からの命令が刻まれており、穂積親王藤原不比等などの当時の高官の名もうかがえる。国の特別史跡に指定されている。

那須国造碑

700年建碑。689年、那須国造評督に任ぜられた那須直葦提の事績を、息子の意志麻呂らが顕彰するために建碑され、公の事跡を記録した他の二碑とは性格が異なる。国宝に指定されている。

宇治橋断碑

脚注

関連項目

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