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春帆楼
山口県下関市にある割烹旅館 ウィキペディアから
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春帆楼(しゅんぱんろう)は、山口県下関市阿弥陀寺町4-2[2]にある割烹旅館である。「株式会社春帆楼」が運営している。1895年、日清講和談判場とし、時の全権・伊藤博文等が、清国使節・李鴻章等と会見し、日清戦争の講和条約である下関条約を締結した所である[3]。
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概要
赤間神宮・安徳天皇御陵に隣接し、関門海峡を望む高台に位置する。
この地は元々阿弥陀寺の方丈のあった所で、同寺が廃寺となった後、中津藩の眼科医藤野玄洋が買収して、1877年(明治10年)に医院「月波楼医院」を開院していた所であるが、1887年に玄洋が亡くなった後、未亡人・ミチが旅館兼料亭として、伊藤博文の命名により創業を開始したものである。1888年(明治21年)には伊藤により解禁となった、ふぐ料理公許第一号店として(下関ではふぐのことをふくと呼ぶ)、あるいは1895年(明治28年)4月17日に締結された日清講和条約(下関条約)の締結会場としても知られる。毎年4月17日の記念日には、当時の使用器物を陳列し、談判場の状景をそのまま一般に縦覧させた[3]。
大正時代、経営者死去により廃業の危機に陥る。地元下関の名士林平四郎が1922年、春帆楼の土地建物営業権を当時15万円で買い取り、伊東巳代治書の日清講和記念碑を建立。1945年、空襲で家屋焼失。
戦後は地産トーカン→ジェネラスコーポレーションが再興し運営していたが、株主である地産の会社更生法適用(倒産)に伴い、2003年(平成15年)10月に分社された後、2004年(平成16年)9月にオリックス不動産に株式が譲渡された。この経緯もあって、法人としての「株式会社春帆楼」の本社所在地は東京都港区となっており、下関市での旅館業の他、各地で料亭の運営にあたっている。
昭和天皇・香淳皇后が2度(大分県の植樹祭の帰路、山口国体開催時の行幸時)宿泊している。敷地内に日清講和記念館(登録有形文化財)、伊藤博文・陸奥宗光の胸像、講和条約時、李鴻章が宿泊した引接寺へは、敷地内より李鴻章道が続く。
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店舗展開
現在営業している店舗
かつて存在した店舗
交通
脚注
参考文献
関連項目
外部リンク
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