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明聖王后

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明聖王后 金氏(めいせいおうこう きんし、ミョンソンワンフ キムシ、1642年6月14日 - 1684年1月21日)は、李氏朝鮮の国王顕宗の王妃で粛宗の母。諡号・徽号等は顕烈禧仁貞献文徳明聖王后。本貫清風金氏

概要 明聖王后, 在位 ...
概要 明聖王后, 各種表記 ...

1651年、世子嬪に、1659年、王妃になり、1674年顕宗が亡くなると王大妃 となった。年若い粛宗が王になると朝廷の事に深く干渉しようとして西人側についた。知能が高く、性格が過激で、宮殿内の事柄を処理する際には感情的で荒っぽい面を見せたと言われる。特に1675年の「紅袖之変」では大臣たちの前で泣き叫ぶなどみっともない姿を晒した。死後は、顕宗と共に京畿道九里市の崇陵に葬られた。

世子嬪から王妃となり、自身の息子が王位に就き、大妃になったのは明聖王后金氏ただ一人である。彼女は、自身が嫌っていた女官であった禧嬪張氏(後の粛宗の後宮)を宮廷から追放したこともあった。

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家族

明聖王后が登場する作品

参考文献

  • 朝鮮王朝実録【改訂版】朴永圭 著、神田聡・尹淑姫 訳、キネマ旬報、2012年3月14日
先代
仁宣王后
朝鮮王妃
在位:1659年 - 1674年
次代
仁敬王后
先代
仁宣王后
朝鮮大妃
在位:1674年 - 1684年
次代
仁元王后
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