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有馬頼端

江戸時代中期の武士。久留米藩世子。 ウィキペディアから

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有馬 頼端(ありま よりなお[1])は、筑後久留米藩第8代藩主・有馬頼貴の子。世嗣と定められたが、家督を継ぐことなく没した。

概要 凡例有馬 頼端, 時代 ...

生涯

安永8年6月27日1779年8月9日[3][4]、有馬頼貴の三男として出生[1][3](夭折した男子が1人いるため、四男と記されることもある[4])。母は高木氏[1][5]

兄の頼善が狂気によって廃嫡されたため[4]寛政5年(1793年)3月25日、父頼貴の嫡子となる[1][6]。同年9月15日、将軍徳川家斉に拝謁する[1]。同年12月26日、従四位下上総介に叙任する[1]

しかし、家督を継ぐことなく、文化元年(1804年)12月22日に没した[3][7]。享年26[4]

頼端の死により、頼端の長男の新太郎(のちの有馬頼徳)が久留米藩の嫡子と定められた[4]

家族・親族

正室の佐倉藩堀田正順の三女、八十[3]。 『平成新修旧華族家系大成』には、子として以下が記載されている。

脚注

参考文献

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