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木村一歩

日本の官僚・翻訳家 ウィキペディアから

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木村 一歩(きむら いっぽ[1][2]1850年嘉永3年3月) - 1901年明治34年)7月7日)は明治時代の日本洋学者官吏。旧鳥羽藩士[3]。旧名は且又[4]

概要 木村 一歩, 誕生 ...

来歴

要約
視点

嘉永3年(1850年)3月[5]鳥羽藩士有馬千里の次男として志摩国鳥羽に生まれ、文久3年(1863年)に同藩士木村忠之の養子となった。藩校漢学蘭学を学んだのち、自費での洋学修行を藩より許され江戸に遊学[6]慶応3年(1867年)7月に同藩の洋学者近藤芳隣に入門し、さらに明治元年(1868年)11月、近藤のはからいで福澤諭吉が主宰する慶應義塾に入社。翌年には義塾の教員を務め、門野幾之進ら鳥羽藩出身者を入社させている[4][7][8]

明治3年(1870年)閏10月、肥田昭作永田健助に続き義塾から新政府大学に転じ、少助教に就任。12月に中助教となり、大学が廃止され文部省が置かれた明治4年(1871年)7月に文部権大助教に更任されたのち、文部中助教、文部省九等出仕を経て同年12月に文部大助教に昇任。翌年3月から大阪開成所勤務となった[5][9]。明治5年(1872年)10月、官制改革にともない文部省八等出仕となり、11月に本省の教科書編成課(翌年3月に編書課と改称)に異動。翌年11月、文部省七等出仕に進み、明治7年(1874年)7月には報告課勤務となったが、本省経費削減のための行政整理が進められる中、河津祐之坪井為春島村鼎木村正辞伊藤圭介、永田健助らとともに同年9月に出仕を免じられた[5][10]。免出仕後は明治7年11月から翌年9月まで大蔵省国債寮の雇となった[5]ほか、文部省による洋書翻訳にも携わっている。その後、明治14年(1881年)12月に准判任御用掛として文部省に復帰。翌年12月に准奏任に進み、明治18年(1885年)から翌年にかけての官制改革で文部一等属(のち文部属)に降任となったのち、明治24年(1891年)頃まで在職した。省内では編輯局に勤務し、明治19年(1886年)3月に西村茂樹に代わって伊沢修二が局長に就任すると、教科書の著訳・編述・校訂事務を担当する第一課の課長心得となって伊沢を補佐。行政整理により明治23年(1890年)6月に編輯局が廃止された後は、同局の事務を引き継いだ総務局図書課に移った[5][11]

なおこの間、岡山藩出身の木庭繁(坪田繁)、鳥羽藩出身の栗原亮一林友太郎に洋学を教え[12][13]、明治7年に東京赤坂に開設した鞭駘義塾では、木庭の招きで岡山から上京した小松原英太郎関新吾千賀鶴太郎らが師事[7][14]。明治9年(1876年)に設けられた神宮教院本教館でも博物学教師を務め[15]、さらに明治11年(1878年)には中村正直が主宰する英学塾・同人社の教頭を依嘱された[6][16]。このほか、明治17年(1884年)4月に西村茂樹が会長を務める日本講道会の講師・会計員長となり、明治20年(1887年)9月に同会が日本弘道会に改組されると常議員に選ばれた[17]

文部省を退いてからは、かつて同省から分冊刊行し未完であった訳書『教育辞林』の版権を譲り受け、これに本邦に関する事項と教育家伝を加えた『教育辞典』を編纂。明治26年(1893年)に完成を見た[1][16]。晩年は明治28年(1895年)頃から農商務省農事試験場本場の書記を務め[4][18]、またインド哲学の講究を志して仏教書を渉猟。他日、仏教の入門書を著すことを企てていたが、これを果たさないまま明治34年(1901年7月7日に死去した。享年52[19]

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親族

有馬家
木村家
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著作

  • 合衆国管商事務ノ事」 ウヰルヤムス筆述(早稲田大学図書館所蔵大隈文書)
  • 「百物為神ノ教衰ヘテ理学興ル」(『同人社文学雑誌』第38号、1880年1月)
  • 「上古教育沿革」(『同人社文学雑誌』第51号、1881年4月)
  • 「中古教育沿革論」(『同人社文学雑誌』第63号、1881年10月 / 第64号、1881年11月)
  • 「近世教育沿革論」(『同人社文学雑誌』第67号、1881年12月 / 第68号、1882年1月)
  • 「普刺多氏伝」(『同人社文学雑誌』第78号、1882年6月)
  • 教育ノ主義」(『脩身学社叢説』第26冊、1882年6月)
  • 哈里斯氏文明論」(『脩身学社叢説』第30冊、1883年1月)
  • 「女子教育沿革」(『同人社文学雑誌』第89号、1883年2月 / 第90号、1883年3月)
  • 「欧米五十傑伝記」(『日本弘道叢記』第13号、1893年5月 / 第14号、1893年6月 / 第15号、1893年7月 / 第17号、1893年9月)
訳書

脚注

参考文献

関連文献

外部リンク

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