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答志郡
三重県(志摩国)にあった郡 ウィキペディアから
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郡域
歴史
- 養老3年(719年) - 志摩郡の一部が分立。
- 古代には三河湾の篠島、日間賀島、佐久島も志摩国に含まれていたが鎌倉時代に吉良氏の勢力下に入り、三河国幡豆郡に取り込まれた。(その後、篠島と日間賀島は尾張藩領となり尾張国知多郡に属した。)
近世以降の沿革
- 明治初年時点で、全域が鳥羽藩領であった。「旧高旧領取調帳」の記載によると、鳥羽城下[1]ほか1町36村が存在。
- 明治4年
- 明治9年(1876年)4月18日 - 第2次府県統合により三重県の管轄となる。
- 明治11年(1878年) - 本町・大里町・横町・中之郷・藤之郷・奥谷・錦町が合併して鳥羽町となる。(1町36村)
- 明治12年(1879年)2月5日 - 郡区町村編制法の三重県での施行により、行政区画としての答志郡が発足。「答志英虞郡役所」が鳥羽町に設置され、英虞郡とともに管轄。

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行政
- 答志英虞郡役所
- 三重県答志郡鳥羽町字錦町[2]
- 答志・英虞郡長
脚注
参考文献
関連項目
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