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木村剛輔

政治学者、政治家 ウィキペディアから

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木村 剛輔(きむら ごうすけ、1917年大正6年)12月10日[1] - 1994年平成6年)8月16日[1])は、昭和期の政治学者、教育者、政治家衆議院議員。父は初代法務大臣木村篤太郎

経歴

神奈川県出身[1][2]。1942年(昭和17年)東京帝国大学法学部政治学科を卒業[1][2]。戦後にシカゴ大学で学んだ[2]

東京帝大法学部助手となり[1][2]、召集され陸軍中尉で復員した[2]。その後、東京教育大学助教授、シカゴ大学政治学客員教授などを務めた[2]。小田原女子短期大学(現小田原短期大学)を創立して理事長兼副学長に就任した[1][2]

1958年(昭和33年)5月の第28回衆議院議員総選挙神奈川県第3区から出馬したが落選[3]。次の第29回総選挙でも落選したが、1963年(昭和38年)11月の第30回総選挙で初当選し[2][4]、衆議院議員に1期在任した[1][2]。この間、自由民主党教育研修局次長を務めた[2]。その後、第31回総選挙に立候補したが落選した[4]

後に自民党前議員会役員となった[2]。墓所は多磨霊園[5]

訳書

脚注

参考文献

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