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末村敦男
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末村 敦男(すえむら あつお、1955年11月12日 - )は、日本のプロゴルファー。
来歴
1985年のポカリスエットオープンでは初日を鈴村照男・矢部昭・芹澤信雄・新井規矩雄・尾崎将司・木村政信と並んでの2位タイ[1]でスタートし、2日目には矢部と共に甲斐俊光・倉本昌弘・中村通・宮本康弘・羽川豊と並んでの16位タイ[2]に後退したが、最終日には68をマークし[3]金子柱憲と並んでの5位タイ[4]に浮上して終えた。
1985年から松永カントリークラブでプロ・アマ・研修生により行われている「ミッドサマーオープン」[5]では1990年が吉野展弘・三好隆・秋富由利夫と並んでの3位タイ、1991年が秋富の2位、1994年が宮田孝誠の2位であった[6]。
1986年の中四国オープンでは初日を増田光彦と並んでの27位タイ[7]でスタートしたが、2日目には69をマークして[8]渡辺司(西)と並んでの14位タイ[9]、3日目も2日連続の69をマークして[8]冨田三十士と並んでの5位タイ[10]と順位を上げていき、最終日には冨田と共に吉野・重信秀人と並んでの3位タイ[11]に入った。
1988年の山口オープンでは初日に65をマークして2位[12]でスタートし、最終日にも69をマークして杉田勇・中川原邦治・奥田靖己・吉村金八・柴田昇・坂本義一を抑えて優勝[13]。
1989年の中四国オープンでは最終日には68をマークして[14]十亀賢二と並んでの9位タイ[15]、1990年の同大会では8位タイ[16]に入った。
1991年のマルマンオープンでは初日に佐藤英之・渡辺三男、ロジャー・マッカイ(オーストラリア)、白浜育男・水巻善典・井戸木鴻樹と共に3アンダー69をマークして6位タイでスタートした[17]。
1994年のアコムインターナショナル[18]を最後にレギュラーツアーから引退。
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主な優勝
- 1988年 - 山口オープン
脚注
外部リンク
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