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吉野展弘
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吉野 展弘(よしの のぶひろ、1956年6月1日 - )は、広島県出身のプロゴルファー。
来歴
1983年にプロ入りし[1]、1984年の兵庫県オープンでは初日を前田新作・甲斐俊光に次ぐと同時に森本俊治・吉川一雄・井上智夫と並んでの3位タイ[2]でスタートしたほか、1985年の中四国オープンでは冨田三十士・重信秀人に次ぐ3位[3]に入った。
1985年から松永カントリークラブでプロ・アマ・研修生により行われている「ミッドサマーオープン」[4]では1987年にデビッド・イシイ(アメリカ)と並んでの4位タイ、1992年にも4位タイ、1993年には十亀賢二と並んで堀川昌利の2位タイに入った[5]。
1986年にはNST新潟オープンでは海老原清治・湯原信光と並んでの9位タイ[6]、中四国オープンでは冨田・末村敦男・重信と並んでの3位タイ[7]に入った。
1987年には関西プロでは秋富由利夫・上野忠美・白石達哉・中村忠夫と並んでの5位タイ[8]、中四国オープンでは河村雅之・重信と並んでの6位タイ[9]に入った。
1989年には関西プロで松井一の2位[10]、1990年には中四国オープンで7位[11]に入った。
1990年の山口オープンでは初日69、最終日68と2日連続60台をマークし、井戸木鴻樹と並んでの3位タイに入った[12]。
1991年には中四国オープンで宮田孝誠・倉本・重信に次ぐ4位[13]、ジーン・サラゼン ジュンクラシックでは中村通・稲垣太成、ハル・サットン(アメリカ)、丸山智弘と並んでの10位タイ[14]に入った。
1992年にはヨネックスオープン広島でトッド・ハミルトン(アメリカ)、羽川豊と並んでの5位タイ[15]、1993年のキャスコ岡山オープンでは宮田・山本己沙雄に次ぐと同時に松永一成と並んでの3位タイ[16]に入った。
1995年のヨネックスオープン広島では初日に5アンダーで単独首位に立ったが[17]、真板潔・上出裕也と並んでの4位タイ[18]に終わった。
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脚注
外部リンク
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