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本田明浩
日本のプロ野球選手 (1967-) ウィキペディアから
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本田 明浩(ほんだ あきひろ、1967年8月18日 - )は、兵庫県西脇市出身の元プロ野球選手(捕手)、野球指導者。
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来歴・人物
杜高卒業後、社会人野球の新日本製鐵大分では、1990年(補強選手)から2年連続で都市対抗野球に出場[1]。1991年のドラフト会議で福岡ダイエーホークスから6位指名を受け、契約金4500万円、年俸600万円(それぞれ推定)で契約を結んだ。背番号は35。176cm、73kg(入団時)と体格は大きくなかったが、遠投120メートルの強肩捕手で、即戦力として期待されていた。
しかし、1995年より背番号が61に変更。結局、一軍出場のないまま2000年に退団した。
2001年にブルペン捕手として阪神タイガースに入団した(背番号は94)が、10年目となるため選手登録されており、1試合のみだが二軍戦に出場している。このシーズン終了後に正式に引退し、その後は2004年までブルペン捕手、2005年からは育成担当を務め、2009年から再度ブルペン捕手を務めている。2018年限りで退団。
2018年12月25日、2019年シーズンより四国アイランドリーグplusの高知ファイティングドッグスで野手コーチに就任することが発表された[2]。2020年1月14日、2019年シーズンでの退団が発表された[3]。
その後は、履正社国際医療スポーツ専門学校(履正社ベースボールクラブ)で指導している。
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詳細情報
年度別打撃成績
- 一軍公式戦出場なし
背番号
- 35(1992年 - 1994年)
- 61(1995年 - 2000年)
- 94(2001年 - 2009年途中)
- 111(2009年途中 - 2018年)[4]
- 81(2019年)
脚注
関連項目
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