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1991年度新人選手選択会議 (日本プロ野球)
1991年に日本で行われたプロ野球ドラフト会議 ウィキペディアから
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1991年度新人選手選択会議(1991ねんどしんじんせんしゅせんたくかいぎ)は、1991年11月22日に午後5時5分から新高輪プリンスホテルで行われた[1] 第27回のプロ野球ドラフト会議である。
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概要
- 92選手の交渉権が確定した。
- この年から、これまでの重複選手抽選方式に加え、5順目以降ウェーバー方式が採用された。また、これまで1球団6人以内であった最大指名人数が10人に拡大され、その代わりに新人選手は、入団テスト合格者を含めて全てドラフト会議を通すこととなり、ドラフト外入団の道が事実上なくなった[2]。
- 抽選に外れた球団は奇数指名順位はウエーバー方式、偶数指名順位は折り返しウエーバー方式で希望選手を指名。
- ウエーバー順位は阪神 - ロッテ - 大洋 - ダイエー - 巨人 - 日本ハム - ヤクルト - オリックス - 中日 - 近鉄 - 広島 - 西武。
- また、アマチュアとの関係改善に向けて、プロ入り拒否を表明している選手は指名しないという申し合わせが適用された。
- 在京セ・リーグ球団を希望していた若田部健一を、巨人、広島、西武、ダイエーの4球団が競合指名し、ダイエーが交渉権を獲得した。また、斎藤隆を中日と大洋が競合指名し、大洋が交渉権を獲得。田口壮を日本ハムとオリックスが競合指名し、オリックスが交渉権を獲得している。
- 東北福祉大学からプロ野球ドラフト会議最多タイの5選手が指名された。
- オリックスは会議前日の11月21日付で中日を自由契約となった金子歩(1988年オフに練習生として中日にドラフト外入団)を獲得することを検討し、そのためにこのドラフト会議で金子を指名する必要があるかをパシフィック・リーグ(パ・リーグ)連盟と中日、もしくはNPB機構に問い合わせたが[3]、パ・リーグ連盟[4] もしくはNPB機構は、金子が一度支配下選手登録されていることから、ドラフト会議での指名を経ず自由契約選手の扱いで獲得することを認め[3]、金子は自由契約扱い[5]、もしくは無償トレードでオリックスに移籍することが決まった[4]。このようにプロ野球経験者をドラフト会議で指名しようとした事例は珍しいこととされている[5]。
- 当初は翌1992年に行われるバルセロナオリンピックの関係で指名凍結選手が多数いたため不作の年とマスコミでも言われていたが、結果として鈴木一朗(イチロー)、田口壮、石井一久、中村紀洋、斎藤隆と5人のメジャーリーガーを輩出。国内でも金本知憲、三浦大輔などタイトルホルダーが多数現れた他、片岡篤史、桧山進次郎、高村祐などは長くチームの軸として活躍した大豊作の年となった。
- 第1回ドラフト会議から司会を務めた伊東一雄にとっての最後のドラフトである。
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選択希望選手一覧
- 太字は交渉権確定。色付きは指名重複選手。4位以上の重複抽選に外れたチームの指名又は5位以下の指名はシーズン成績に基づき、巡目括弧内の矢印の向きにウェーバー制により指名。
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選択選手一覧
西武ライオンズ
近鉄バファローズ
オリックス・ブルーウェーブ
日本ハムファイターズ
福岡ダイエーホークス
千葉ロッテマリーンズ
広島東洋カープ
中日ドラゴンズ
ヤクルトスワローズ
読売ジャイアンツ
横浜大洋ホエールズ
阪神タイガース
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脚注
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