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杉谷代水
日本の詩人・劇作家 ウィキペディアから
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杉谷 代水(すぎたに だいすい、1874年8月21日 - 1915年4月21日)は、日本の詩人、劇作家、翻訳家。本名は虎蔵。号の「代水」は鳥取市を流れる「千代川」に由来するという。アミーチスの「クオーレ」中の一篇を「親を尋ねて三千里」のタイトルで翻訳したり、文部省唱歌となる「星の界(ほしのよ)」[1]の歌詞などを書いた。

また長女の恵美子は選集の編集をしたり、佐々木恵美子の名前で脚本家として活躍した。
来歴
- 1874(明治7)年 - 8月21日、鳥取県境港に生まれる。2歳のときに島根県松江、9歳のときに鳥取市に移り住む。
- 1887(明治20)年 - 鳥取高等小学校を卒業後、鳥取県尋常中学校(現鳥取西高等学校)に入学。
- 1892(明治25)年 - 尋常中学校を卒業し、鳥取高等小学校[2]の嘱託となる。
- 1895(明治28)年 - 東京専門学校(現早稲田大学)文学部に入学、講師をしていた坪内逍遙に認められるも病気で中退する。
- 1898(明治31)年 - 坪内逍遙の推薦で冨山房に入り、「国語読本」[3]の編集に参加。一方で『早稲田文学』に新体詩「わかれの春」「海賊」「行雲歌」「夕しほ」などを発表し、文壇デビューを果たす。
- 1902(明治35)年 - 『学童日誌』(春陽堂)刊行[4]。
- 1903(明治36)年 - 『沙翁物語』(冨山房)刊行。
- 1905(明治38)年 - 歌劇を創作、「熊野(ゆや)」「小督(おごう)」(明治38年)、「太田道灌」「胡蝶」「残夢」(明治39年)、「舌切雀」(明治40年)など。
- 1907(明治40)年 - この年『早稲田文学』に書いた戯曲「大極殿」が文藝協会により上演される。
- 1909(明治42)年 - 『希臘神話』(冨山房)刊行[5]。この頃、同郷の作曲家である田村虎蔵の依頼により唱歌の作詞を始める。
- 1910(明治43)年 - 唱歌「星の界(ほしのよ)」発表。他に「木枯」「古武士」「敵襲」「友情」「孝女」「漁火」など60余編を残す。
- 1911(明治44)年 - 12月、粟田壽賀子と結婚。
- 1912(明治45・大正1)年 - 『作文講話及文範』(芳賀矢一との共編、冨山房)刊行。
- 1913(大正2)年 - 長女・恵美子が生まれる。
- 1915(大正4)年 - 4月21日死去。40歳没。死後『アラビヤンナイト』が刊行される[6]。墓所は雑司ヶ谷霊園。
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著書
- 『新曲太田道灌』東儀季治曲 修文館 1906
- 『新曲残夢』前田久八曲 修文館 1906
- 『新曲胡蝶』目賀田萬世吉曲 修文館 1906
- 『功と罪』通俗教育会 1908
- 『日吉丸』久遠堂(家庭歴史文庫) 1908
- 『日本武尊』久遠堂(家庭歴史文庫) 1908
- 『杉谷代水選集』杉谷恵美子編 冨山房 1935[7]
共編
翻訳・翻案
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注
参考資料
外部リンク
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