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東雲型駆逐艦
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東雲型駆逐艦(しののめかたくちくかん)は、大日本帝国海軍の駆逐艦の艦級[1]。第一期海軍拡張計画に基づき、イギリス海軍D級駆逐艦の準同型艦として、明治29年・30年度計画でイギリスのソーニクロフト社に6隻が発注された[2]。叢雲型(英語: Murakumo-class)とも称される[3]。
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設計
日本初の駆逐艦として、同じ第一期拡張計画で建造された雷型がヤーロー社のB級駆逐艦の準同型艦であったのに対し、本型はソーニクロフト社のD級駆逐艦の準同型艦とされた[2]。船型は同型と同じく乾舷の低い平甲板型・2本煙突艦とされ、艦首が波浪に突っ込んだときに海水をすくい上げないように、水はけの良い亀甲型(タートルバック)とされたのも同様である[4]。なお、舵は従来と同様の半釣合舵で、舵頭が海面上に露出していたことから、抗堪性の面で問題が指摘されており、続く暁型以降は改正が図られた[2]。艦橋の狭さを補うため、前部マストの前方には操舵所が別に設けられていた[1]。
ボイラーはソーニクロフト式の石炭専焼式水管ボイラーだが、これはトラブルが起きやすかったと伝えられている[1]。蒸気性状は圧力15.5 kgf/cm2 (220 lbf/in2)、飽和温度であった。主機関は直立式3段膨張4気筒レシプロ蒸気機関とされた[5]。
兵装は、雷型と同じく原型となったイギリス駆逐艦の構成が踏襲されており、艦砲としては40口径7.6cm砲(安式十二斤速射砲)1門と40口径5.7cm砲(保式六斤速射砲)5門が搭載された。7.6cm砲は上甲板後端、5.7cm砲は司令塔上に1門と上甲板両舷に2門ずつが設置された[6]。また後に、司令塔上の5.7cm砲を7.6cm砲に換装するとともに、舷側の5.7cm砲も砲盾なしの山内式に換装された[2]。
また魚雷については、上甲板後部の中心線上に2個の旋回台を設け、これに人力旋回式の45cm魚雷発射管を1門ずつ設置した[6]。
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同型艦
要約
視点
東雲(しののめ)
→詳細は「東雲 (東雲型駆逐艦)」を参照
- 発注時の艦名は第三号水雷艇駆逐艇[7]。1899年(明治32年)2月1日、イギリス・ソーニクロフト社で竣工[1]。同年4月1日、横須賀に到着。1913年(大正2年)7月20日、淡水から馬公に回航の途中、安平港北西沖で暴風のため座礁。同年7月23日、船体切断し沈没。同年8月6日、除籍[1]。同年11月29日、沈没のまま売却[1]。

叢雲(むらくも)
→詳細は「叢雲 (東雲型駆逐艦)」を参照
夕霧(ゆうぎり/ゆふぎり)
→詳細は「夕霧 (東雲型駆逐艦)」を参照
不知火(しらぬい/しらぬひ)
→詳細は「不知火 (東雲型駆逐艦)」を参照
陽炎(かげろう/かげろふ)
→詳細は「陽炎 (東雲型駆逐艦)」を参照
薄雲(うすぐも)
→詳細は「薄雲 (東雲型駆逐艦)」を参照
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出典
参考文献
関連項目
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