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松平親乗
大給松平家第4代当主 ウィキペディアから
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松平 親乗(まつだいら ちかのり)は、戦国時代から安土桃山時代にかけての武将。通称は源次郎。官位は和泉守。大給松平家4代当主。
生涯
3代当主・松平乗勝の長男として誕生。
享禄3年(1530年)、清康に従って熊谷氏の居城・宇利城を攻め、軍功を挙げた。天文21年(1552年)、東条松平家の松平忠茂に居城の大給城を攻められ、忠茂と戦う。弘治元年(1555年)8月、今川義元に命じられて織田氏の居城・蟹江城を攻める。弘治2年(1556年)に滝脇松平家の滝脇城を攻め、松平乗清・乗遠親子を戦死させた。
この頃、今川家の人質であった徳川家康に随身し駿府に居住しており、弘治3年1月8日(1557年2月17日)には駿府滞在中の山科言継を訪ね酒宴に及んだことが『言継卿記』に記録されている。これ以降、言継とは永禄11年10月10日(1568年11月9日)など会合を重ね親交を深めている[2]。
脚注
参考文献
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