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松平頼救
江戸時代中期~後期の大名。宍戸藩第5代藩主 ウィキペディアから
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松平 頼救(まつだいら よりすけ)は、江戸時代中期から後期にかけての大名。常陸国宍戸藩5代藩主。官位は従五位下・大炊頭。書道や茶道に優れた教養人であり、『垂裕閣法帖』16巻を編纂している。三島由紀夫は来孫である。
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生涯
宍戸藩の本家である水戸藩5代藩主・徳川宗翰の六男。明和3年(1766年)、先代藩主・松平頼多が死去したため、その婿養子として跡を継いだ。享和2年(1802年)4月5日、長男・頼敬に家督を譲って隠居し、同年5月には剃髪して大翁と号した。文化5年(1808年)には太玄斎と号する。
系譜
- 正室:喜多 - 松平頼多娘
- 側室:杉崎氏
- 長男:頼敬
- 次男:太田資原 - 太田資敬養子
- 側室:中里氏
- 長女:順 - 松平頼紹室
- 次女:政 - 願入寺如海室
- 三女:直 - 岡部忠愛室
- 四女:克 - 久保田政方室
- 側室:田口氏
- 側室:岩橋氏
- 八女:松 - 富永泰之室
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