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松戸車両センター

千葉県松戸市にある東日本旅客鉄道の車両基地 ウィキペディアから

松戸車両センターmap
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松戸車両センター(まつどしゃりょうセンター)は、千葉県松戸市にある東日本旅客鉄道(JR東日本)首都圏本部車両基地である。

概要 松戸車両センター, 基本情報 ...

常磐線松戸駅付近に位置する。また、千葉県我孫子市我孫子 - 天王台間に松戸車両センター我孫子派出所を有する。

常磐快速線常磐緩行線ダイヤ編成が完全に分離されており、双方を行き来する定期列車は存在しないが、当車両センターと本線の引込線は緩行線上り線に接続しており、他の線路とは平面交差で車両の入れ替えを行っている。快速線の松戸駅始発・終発列車は、快速線上りと緩行線上下線を支障しながら、松戸駅快速線中線2番線と当センターの引込線との間を転線している。また、緩行線用の編成が東京総合車両センター検査入場する際は快速線用編成の回送時と同様の経路で当車両センターと松戸駅2番線を連絡して快速線を回送されていく。

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配置車両に記される略号

都マト」…首都圏本部を意味する「都」と、松戸を意味する「マト」から構成される。

  • 国鉄時代は「東マト」(東京鉄道管理局〈→東京地域本社→東京支社〉を意味する「東」と、松戸を意味する「マト」から構成されていた)。1969年3月、東京鉄道管理局が東京北・東京南・東京西の三局に分割されると、東京北鉄道管理局を意味する「北マト」に変更された。

歴史

本所構内

松戸駅から引き込み線を通って同駅の南側に約1キロメートル離れた場所にあり、常磐線とは離れた位置にあるため、車窓から確認することはできない[5]。業務の一部は、JR東日本運輸サービスに委託している[5]

構内は西側(常磐線の線路側)より

  • 1・2番線は修繕線で、修繕庫に繋がっている[5]
  • 3・4番線は検修庫で、機能保全と消耗品交換が実施される[5]
  • 5・6番線は洗浄線で、手洗浄作業台を備えている[5]。本所では、基本的に車内清掃が実施される[5]。車体外板の洗浄は車両洗浄装置を備える我孫子派出所で実施される[5]
  • 7 - 19番線は留置線である[5]
    • 8・9番線間と11・12番線間には屋根上点検台が設置されている[5]
    • 有効長は、5 - 10番線は15両編成、11 - 17番線は10両編成、18・19番線は5両編成に対応している[5]

松戸車両センター我孫子派出所

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松戸車両センター我孫子派出所(2013年12月)

1971年2月、常磐線複々線化に伴い増備された車両を収容するため、我孫子電留線(後の松戸電車区我孫子派出所)として開設された。電留線の工事は1968年9月に工事計画書が認可されると、直ちに用地買収を開始し同年12月に路盤工事から着手したが、当地は妻子原遺跡があったため、1969年2月から6月まで埋蔵文化財の発掘調査が行われた[6]

用地内には旧水戸街道の第5浜街道踏切と市道の利根山踏切が存在していたが、1970年4月30日に踏切を廃止し、それぞれ船橋我孫子線架道橋、利根山架道橋として立体交差化された[7]。1970年9月に下り本線を車両センターの北側を通る線路に切替え、1971年2月4日に収容100両分の使用を開始した。残工事を行い、同年4月20日に車両収容270両、検修線 - 4線40両分、洗浄線 - 1線10両分、機械洗浄台 - 1基の規模で使用を開始した[8]

1987年、快速電車15両化と緩行電車の車両数増加に対応するため、有効長延伸するとともに不足する電留線を増設などの改良を行った[9]

敷地面積9万6000平方メートル、線路長8,117mの規模で線路の並ぶ西側は留置線で16線ある。作業用デッキを備える東側部分が洗浄線で、天王台駅側の東端部に車両洗浄装置を備えている[10]。所在地は千葉県我孫子市我孫子1438。

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我孫子ホーム検査

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我孫子駅ホーム上の検査詰所入り口

先述の我孫子派出とは別に我孫子駅構内に社員が常駐し、我孫子駅を発着する本線列車の故障対応を中心に担当している。

上野派出所

上野駅構内に社員が常駐し、上野駅に発着する本線列車の故障対応などを担当している。2022年(令和4年)3月31日をもって廃止され、組織は我孫子ホーム検査及び東京総合車両センター各派出検査に移管された。


配置車両

要約
視点

2023年4月1日時点の配置車両は下記の通りである[2]。なお、すべて電車である。

さらに見る 電車, 気動車 ...

電車

E231系0番台(275両)

  • 0番台基本10両編成18本(101 - 117および119編成・180両)と、付属5両編成19本(121 - 139編成・95両)が配置されており、東海道線上野東京ライン・常磐快速線(品川 - 東京 - 上野 - 取手間)・成田線(我孫子 - 成田間)で運用されている。
  • 2001年11月に新製配置、2002年3月3日より営業運転を開始し、2004年1月に0番台のうち、101 - 117編成の基本編成10両17本(170両)と、121- 139編成の付属編成5両19本(95両)が出揃った。
  • 上野東京ライン開業に伴う増発のため、2015年1月から3月にかけて、三鷹車両センターから0番台20両が転入し、それぞれ10両編成2本(118・119編成)として運用を開始した。このうち、118編成は2020年8月に2両を廃車の上、武蔵野線用として京葉車両センターに転出した。

E233系2000番台(190両)

過去の配置車両

電車

72系

  • 上野 - 取手間の電車区間で各駅停車として運用され、1971年の複々線化完成と同時に引退する予定であったが、快速線の混雑激化から1年ほど快速電車としても運用された。

103系

  • 1967年から投入され、当初はエメラルドグリーンの0番台が72系と共に各駅停車として上野 - 取手間で運用されていた。1971年に複々線化が完成すると、0番台は8両編成に短縮の上で快速線(上野 - 取手間)用になった。一方で各駅停車は新たに営団地下鉄千代田線と相互直通を行うため、地下鉄対応の1000番台160両(10両編成16本)を新造し、緩行線(取手 - 代々木上原間)用として投入した。しかし、諸問題から早々に203系へ置き換えられ、160両のうち104両は松戸電車区残存のまま快速線(上野 - 取手間)用に転用され、0番台と混結された。当初は緩行線の塗装のまま0番台と混結運転されるケースもあったが、後に混色編成も全車エメラルドグリーンで統一された。
  • 快速線の混雑激化から、1972年10月に快速線用0番台は再び10両編成に戻された。さらに民営化後の1987年12月からは15両編成での運転を開始した。
  • 2002年時点で編成番号1 - 19の10両編成19本(基本編成・190両)、21 - 39の5両編成19本(付属編成・95両)が配置され、常磐快速線(上野 - 取手間)、成田線(我孫子 - 成田間)で運用されていた。
  • 2002年からE231系による置き換えが開始され、当初は2004年までに全車運用離脱する予定であったが、2005年8月に開業したつくばエクスプレスの影響で運用数削減が見込まれる事から、E231系の投入本数を削減し、代わりに本系列の10両編成1本(マト7編成)と5両編成2本(マト22・31編成)が暫定的に残留する事になった。2年近くこの体制で運用され、基本編成には転落防止幌の取り付けも行われたが、2006年3月17日をもって全車定期運用を終了した。その後、同年4月8日に第7編成で行われたさよなら運転と、4月9日の車両展示会を最後に営業運転を終了した。2006年5月9日に第22編成のクモハ103-147が大宮総合車両センターへ回送、5月17日に第7編成が、5月25日にはクモハ103-147以外の第22編成と31編成がそれぞれ長野総合車両センターへ廃車回送された。なお、第22編成と31編成が5月24日尾久車両センターに回送された際には、先頭車の前面に特製の編成札が取り付けられた。これを最後に首都圏から103系が消滅した。
  • 1000番台160両のうち、快速線に転用された104両は2003年までに全車廃車になっているが、快速線に転用されなかった56両は広島・奈良・和歌山地区に転出し、105系に改造された。民営化後はJR西日本に継承され、2021年4月に全車廃車となった。

401系

  • 量産先行試作車の8両編成2本が、取手 - 勝田間の交流電化開通まで暫定的に配置されていた。落成当初はまだ勝田電車区が存在せず、取手以北勝田までも電化開通していなかったため、最初の試運転は、当区を拠点として東北本線宇都宮 - 郡山間で実施された。後に勝田電車区へ転出。

209系1000番台

  • 常磐緩行線・東京メトロ千代田線(取手 - 綾瀬 - 代々木上原間)で運用されていた。小田急線への乗り入れはできない。
  • 2018年4月1日時点では81編成と82編成の1000番台10両編成2本(20両)が配置されていたが、2018年10月13日を以って常磐緩行線の運用から撤退し運用がなくなった。
  • 中央線快速のE233系0番台12両化工事に伴う予備車確保のため、81編成が2018年11月2日付で、82編成が2019年1月24日付で、それぞれ豊田車両センターに転出し、中央線用に改造された[11][12]

207系

  • 編成番号マト71の試作車900番台10両編成1本が配置され、常磐緩行線・東京メトロ千代田線(取手 - 綾瀬 - 代々木上原間)で運用された。2009年にE233系2000番台に置き換えられ、2009年12月5日にさよなら運転を実施、2010年1月5日に長野総合車両センターへ回送後解体された。

203系

  • 編成番号マト51 - 58の0番台10両8本(80両)、マト61 - 69の100番台10両9本(63両)、計170両が配置され、常磐緩行線・東京メトロ千代田線(取手 - 綾瀬 - 代々木上原間)で運用された。2010年から2011年にかけてE233系2000番台に置き換えられ、2011年度までに全車が廃車となった。1995年3月20日に発生した地下鉄サリン事件では、被災車両が203系だったため、ここで車内検証や消毒が行われた。

クモヤ143形

  • 12・20が配置されていた。構内入換および東京総合車両センター入場時の牽引車として使用されていた。
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配置車両数

  • 車両数は各年の4月1日時点による。4月以降の配置変更は翌年の項に反映。
さらに見る 年, 旧形 ...
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脚注

参考文献

関連項目

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