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松浦薫
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松浦 薫(まつうら かおる、1904年(明治37年)4月4日[1] - 1975年(昭和50年)7月23日[2])は、昭和期の実業家、政治家。衆議院議員、香川県坂出市長。
経歴
香川県綾歌郡松山村(現坂出市大屋冨町)出身[3]。1930年(昭和5年)3月[注 1]、東京帝国大学工学部土木工学科を卒業した[2][4]。
兄・伊平の創業した松浦組[3]に入り、同支配人、満州松浦組専務取締役、松浦工業専務取締役、四国瓦斯取締役などを務めた[2]。
1946年(昭和21年)4月、第22回衆議院議員総選挙で香川県選挙区から出馬して当選し、衆議院議員を1期務めた[2]。この間、日本自由党幹事に就任した[2]。
その後、高松市助役を務め[2]、1969年(昭和44年)7月12日、坂出市長に就任した[1]。鎌田春吉・前市長からの継承で工場誘致に尽力し、アジア石油(現コスモ石油)、吉田工業(YKK)、三菱化成工業(現三菱化学)などの工場誘致を実現した[1]。また、市公害条例の制定、市民憲章の制定、市の木「珊瑚樹」の制定を行った[1]。市長を1期務めて1973年(昭和48年)7月11日に退任した[1]。
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親族
脚注
参考文献
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